盛岡タイムス Web News 2012年 1月 14日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〉245 岡澤敏男 稗酒と木酒

 ■稗酒と木酒

  藁酒は「わら」を粉にしたものに糯(もち)米の粉を混ぜて搗(つ)いた「藁餅」が糖化・アルコール発酵により生成される混合酒ですが、わらが主原料として用いられている点でユニークなのです。

  世界には穀類を原料としている混合酒は、アワ(台湾)、エンバク(ロシア)、キビ(中国)、シコクビエ(ネパール、アフリカ)、ソバ(チベット)、トウモロコシ(アンデス、インド)、ハトムギ(ラオス)など広く見られます。しかし穀類といっても日本の清酒が米を用いているように、雑穀の「実」が主原料である点で藁酒とは区別されるのです。

  また「古事類苑」の「酒上」(飲食部十)は古来から日本の各地に伝わる酒の百科事典で酒に関する故事来歴が一覧されます。例えば酒という名称について、「食療経に言う酒(和名・佐介)は五穀の華で、味之至成、故に能く人を益しまた人を損ずる」と「倭名類聚抄」の引用を序として、古今の文献より酒に関する異名の由来をおびただしく収録している。また酒の種類の来歴についても各種の文献より引用しているが、その中で特段に興味を引くのは「木酒」という項目です。いったい「木酒」とはなにか。

  「古事類苑」において引用する「木酒」の原典は、江戸時代の仮名草紙『よだれかけ』(楳条軒作、六巻四冊)に基づくもので、巻三、四に収録された酒造の歴史・酒の異名・酒の得失などを問答形式で書いています。

  「古代類苑」に引用したものは『よだれかけ』の改題本『たから箱』巻三に書かれた「木酒」を引用したものです。「あるじの男の言う。(中略)酒を米にてばかり作ると覚給ふや。粟にてもつくるなり。其ゆかりにて、今も粟もりといふあり、また木にて作ることもあり、草の根、または果(くだもの)を以て作るなり、是を木酒といふ、たゞし今はおほくは米のみなり、木の実、草の根などにて作るの法を失へるがゆへなり」と述べています。

  今も「葡萄酒、五加酒(ウコギ)、よく苡酒(ハトムギ)、菖蒲酒(ショアブ)、枸杞酒(クコ)、薯蕷酒(ヤマイモ)、牛蒡酒(ゴボウ)、地黄酒(ジオウ)、當帰酒(トウキ)、牛膝酒(イノコヅチ)」などの品々が見られるというから、「木酒」とは養命酒のような薬用植物の実を加味した薬用酒のことを指しているものと考えられます。

  このように世界に伝承する穀物酒や、わが国古来からの各地で醸造される混合酒類をみても、わらを主原料とする藁酒というものは見当たりません。この酒は賢治が創作したもので独特にして唯一の混合酒ではないのかと推察されその着想に驚嘆するばかりです。

  ただ「藁酒」はファンタジーの世界に流通する幻の酒のイメージですが、賢治は「どぶろく(濁酒)」にも強い関心があったらしく童話「税務署長の冒険」をはじめ口語詩「密醸」(「春と修羅 詩稿補遺」)、文語詩〔林の中の柴小屋に〕(「文語詩稿 五十編」)、〔かれ草の雪とけたれば〕(「文語詩稿 一百篇」)において濁酒をめぐる農民と税務署員の陰湿な関係が風刺されているのを見る。

  濁酒は米と麹(こうじ)と水で容易に造られるので、賢治が生まれ育った花巻周辺の農村では自家用酒として盛んに醸造され、正月・春の田植え時・秋の収穫祭・お祭り・婚礼・葬儀など、大勢の人々が寄り合うときにはもてなす大切な必需品だったのです。


    ■詩篇「密醸」
 
  汽車のひゞきがきれぎれ飛んで
  酸っぱくうらさむいこの夕がた
  楢の林の前に
  ひどく猫背のおばあさんが
  熊手にすがって立ってゐる
  右手をかざして空をみる
  それから何かを恐れるやうに
  ごく慎重にあたりを見て
  こっそり林にはひって行く
  あともうかさとも音はせず
  汽車のひゞきが遠くから湧いて
  灰いろの雪がぽしゃぽしゃとぶ


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