盛岡タイムス Web News 2012年 1月 16日 (月)

       

■ 〈幸遊記〉54 照井顕 大船わたるの「開運橋ブルース」

 僕が陸前高田から盛岡へやって来て開運橋のたもとに店を開いた2001年の春、盛岡を舞台にして作られたシングル盤レコードを陸前高田から持って来てた。

  「大盛岡行進曲」「盛岡音頭」の78回転盤。バーブ佐竹の「霧雨の町盛岡」青江三奈の「盛岡ブルース」といったメジャーな45回転シングル盤。さらには盛岡で「ボッカ」という店を経営してた故・畠山信也氏が制作した「ボッカレコード」で幡街恭子が唄った「八幡慕情」。八幡恭子と八幡洋子が唄った「盛岡お座敷小唄」など20枚程。

  その中でも、タイトルからか時折ジャケットを見ると聴たくなる歌がある。気仙郡三陸町(現大船渡市)出身の「大船わたる」の「開運橋ブルース」(1980年ナベプロこと渡辺音楽出版制作)である。

  「あの日別れた開運橋に涙まじりの雨が降る」に始まり「ああ今も涙の面影浮かぶ」で終わる歌詞。詞は坂口宗一郎。曲は千田浩二(大船わたるの本名)彼は仙台市役所職員だった1965年(昭和42年)コロンビアの歌謡コンクールで入賞し上京。

  作曲家の故・猪俣公章氏に師事し、67年3月に千田浩二名の「ソーラン哀歌」でデビュー。5枚のシングル盤を出し69年フジテレビの「夜のヒットスタジオ」に出演した。

  70年には千田浩二から大船渡(わたる)へと改名「板前さんよ」で再デビューしヒット。その後、彼の自作曲が八代亜紀によって唄われた「最終ひかり」(88年)が記憶にある。

  彼が僕の店、陸前高田の「ジャズ喫茶ジョニー」に寄ってくれた95年6月、彼の師、故・猪俣公章氏が眠る福島市の東光寺に墓参りし、日本エンカフォンという新会社から発売の勝負曲「おとこ人生ど真中」を報告。「花を咲かせることを墓前に誓って来た」と言った。

  昨11年「望郷」を発売した直後、3・11の大震災。「焦がれ焦がれて愛した女(ひと)は、きっと死ぬまで忘れない」開運橋ブルースの一節がしみる。

  小泉とし夫氏の短歌「開運橋旅立ちの朝川岸に手を振っている柳の緑」「開運橋遠い旅から戻って来た雪のアーチの白いリベット」。開運橋の春夏秋冬に、僕も曲をつけてみた。
(開運橋のジョニー店主)

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