盛岡タイムス Web News 2012年 1月 20日 (金)

       

■ 〈胡堂の青春育んだ書簡群〜学友たちの手紙〉60 八重嶋勲夫

 ■猪川浩(続き)

今埃壗たる俗界を暫らく去って信仰を得、而して利自せんか此に於て自己の信念ハ焔々として世俗徒らに應世的事業に踞□を見て黙する能ハず、即ち傳道布教あり、信仰ハ決してそれ以外に求むべからずと思ふ、信仰以外に信念安心を得るといふは只一時その時世に満足せずとも不満足でないといふ迄ならん、到りて無気力なり事なり、兄よ、予ハ信仰を得んと日々渇仰須臾も措く能ハざるもの全く如上の理由に依るなり、徒らに未来の往生に非す、極楽に非らず、完全なる社會円満なる社會、完全なる自己なり眞理の追求ハ智識慾自然の結果にして眞理に同化せんとする、蓋し難き彼の感あり、されど信仰の二字に依って同化するを得バその信仰の力偉大なる正に思ふべきなり……これはこれはつまらぬ事理屈かましく申し上げて眞にすみませんでした、

○校友會雑誌正に出でんとせり、予は早稲田の史科講義録の懸賞課題、假名手本忠臣蔵の時当時世に歓迎せられし謂以をかヽんと思ひ居たり、

○明後日ハ講演部大會なり(お菓子くはせる也)、例の日蓮でも振りマワシュかと思ひ居たり、何んでも此の頃の中に抱琴を擁して雄辨会を開かんとす、予と村上と佐々木とある中ハ雄辨会必ず地に墜ちず、心配し玉ふな、君が来る迄には好くなくともいつもよりハ少しは秩序を立てゝ話して見せ申さん、心配し玉ふな。抱琴の家へ毎日行くのもめつらしくなくて面白ろからざるべしと思ひ、二日措きに行く事としたり、のみならず撰挙で幾分か遠慮せんけれバならぬかと思はれる様なり、先頃も変な調子な事あり、敬が来て居た事もある、抱琴が本宮へ暫く引越す積りだなどもそれでハあるまいかと思って居る也、矢張りある中にハ秘密な事が度々これあり仲々以って相動也

○六〇五休暇中に出さんなど思ふて居たり、しっかり君等とやるべし

○繪ハガキのうれしいのハいつもいつも有難いかたじけない、抱琴へ送ってくれたのも実は僕がしらしたと云って皆んな笑はれた、

○高橋へ今度行って思ふ存分やっつけてやってくれ玉へ、初めての腹いやせ也、キサマの様な奴があるから世の中ハ段々腐敗して行くんたって、死ぬ方が餘程トクサク也、僕があれ程いったのが耳に入らなけれバ、親の言が勿論耳に入るまい、政府の如きハなほなほなるべし、腐敗の根元ハ汝等醜輩より起ると叩キつけて泣かせるが上々策也、アーメン

○入学ハ立派に出来たり、安心し玉へこの手紙二日しっかりかヽった手紙たから憧着して居るものなり、前半ハ猪川獄俚に於て、後半ハ可香庵とて中津川の辺り梅内の閑居に書すと云可申、
       みなつきたより
  菫舟大兄        キ(箕)人生
 
  【解説】この議論の背景が分らないので、よく理解できない。箕山は、石川啄木、岩動炎天などと同級で、盛岡中学5学年。17歳か。この年齢で、この手紙のような宗教論、特に日蓮宗とかキリスト教を真剣に論じ、哲学を論じているのには驚く。石川啄木が、このすぐ後に与謝野鉄幹に会ったとき、啄木の語彙(ごい)の多いのに鉄幹が驚いたということを思い出す。

  手紙の中の「高橋」の度が過ぎた恋愛を非難しながらの宗教論、哲学論の展開のように思われるが、この「高橋」が誰なのかはよく分らない。この「高橋と女性」と岩動炎天が同行していることからすれば、同級生なのかもしれない。

  また「敬」といっているのは、原敬が初めての衆議院議員選挙出馬のため盛岡に帰ってきて選挙運動の準備をしているところのようである。

  そのため、甥の原抱琴が暫く本宮の原敬宅に引っ越すという、何か特別な雰囲気があることを感じて報じている。


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