盛岡タイムス Web News 2012年 1月 20日 (金)

       

■ 〈大震災私記〉97 田村剛一 旧交復活

 私が自宅に戻ったと知ると、友人、知人、教え子から、さまざまな支援物資が届いた。米、野菜、醤油、みそ、魚、インスタント食品、缶詰、軍手、ティッシュ、長靴、電池、薬品、衣類…。

  友人たちからの送り物があったから、役場から支援物資をもらわずに、家に戻って自立の道を選ぶことができたのかもしれない。支援物資で思うことがもう一つ。それは、旧交の復活した人が少なくなかったことだ。

  その一人、水沢に住んでいる大槌時代の教え子。キュウリ、大根、ホウレンソウなどの野菜を送ってくれた。生野菜はなかなか手に入らなかったから大変助かった。

  この教え子、結婚式が東京であり私も招待された。吉里吉里出身だったので“吉里吉里から千徳へ”の切符を記念に贈った。それから10年後、旧姓で手紙が届いた。「人生をやり直すことにしました」。以来、心にとめていた教え子。その教え子からの野菜であった。

  千葉県に住む一関時代の教え子からは「生のそら豆」が送られてきた。食べ方が分からない。それで発送元に電話を入れた。「そのままゆでて食べて下さい」これもうまかった。この教え子、47年前の卒業生、そら豆が卒業後、初めての便りであった。

  切手と現金を送ってくれた教え子もいる。来年定年とあったから、釜石時代の教え子。今、東京に住んでいる。ぜひ会いたい一人。

  50年ぶりに名前を見た人たちもいる。金沢時代の教え子たちが、金を出し合って、義援金を送ってくれた。名簿の中に、卒業後、初めて見る名前が十数人並んでいた。ありがたいこと。

  現職時代に「卒業すると忘れられるのが教師の宿命」そんなことを言っている同僚がいたが、そうではない。あらためて、教師と生徒の絆の深さを思い知らされた感じがする。

  旧交復活といえば「友情を裏切って申しわけない」そんな手紙を残し消えた友人がいる。仙台で商売を始めた。出だしは順調であったがバブルではじけ、姿を消した。あれから15年、突然電話があった。

  「今さらとの思いかもしれないが、困っていることがあったら言ってくれ…」

  せっかくの厚意。「魚と納豆が食べたい」と答えた。すると、すぐに、それらが送られてきた。それから数日後、長靴と現金が届いた。「借りを返すつもりで送ったのではない。困っている時はお互いさまだ」。この友人、私のことを気にかけながら生きてきたのだろう。

  聞くと、重い糖尿病だという。元気なうちに一度会って、旧交を深めたいと思っている。今回ほど、素晴らしい友人・教え子に囲まれている自分を感じないわけにはいかなかった。
(山田町)

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