盛岡タイムス Web News 2012年 1月 22日 (日)

       

■ 〈大震災私記〉99 田村剛一 働き出す人々1

 がれきが片付いて行くものの、人が、かつて商店街のあった中央町通りに姿を現すことはめったになかった。不思議なことに、家の跡地を見にくる人々もなかった。人の集まりは一極集中、役場周辺だけ。役場ロビーには、遺体名簿が置かれていたので、それを毎日見に来る人がいた。わたしもその一人。

  ロビーの外側には、無料電話が設置され、その隣に携帯電話の相談所が設けられていた。そこにも人が集まる。2階は銀行。役場の隣の建物が保健センター。ここが支援物資の支給所。夕方近くになると、ここに長蛇の列ができる。人を見かけるといえば、この役場周辺だけであった。

  そんななか、復興に向けて動き出す人々が出てきた。商売する人たち。一番初めに動き出したのがショッピングセンターの、びはんプラザ。びはんプラザは、目の前の防潮堤が壊れたため津波の直撃を受け、鉄骨を残して破壊された。商品の大部分は流出したが流出しないで残った商品は、近くの住民に無料放出。それで助かった人もあったようだ。両手にいっぱい入った袋をかかえて家に向かう人を何人も見かけた。

  びはんプラザは、広い駐車場がある。その駐車場にがれきがいっぱい流れ込んだ。そのがれき撤去を民間会社に委託し、自前で行っていた。若い専務に声をかけると「できるだけ早く店を再開したい」そんな言葉が返ってきた。店員たちも、店内の後片づけに参加。がれきが撤去された駐車場の一角に、テントが張られた。そのテントで、びはんプラザは営業を再開した。これが、山田で営業を再開した第1号である。3月20日前のように思う。

  商品は、米、野菜、カップめん、ジュースなどの食料品が主。生肉や魚はまだなかった。電気が通らないので、冷凍施設は使われない。

  それに、山田の魚市場は、大きな被害を受け、完全休業で、水揚げは全くなかった。漁業の町にいながら、魚はしばらく口に入らなかった。

  びはんのテント営業で、わが家は、家の後片づけに精を出すことになる。それまでは、どうしても支援物資に頼る生活をしなければならなかった。これからは、店からものが買える。それなら、支援物資に頼るだけでなく、自立していこうとの思いが強くなった。

  それが、前に進もうとする人の手助けにもなると思ったからだ。家に戻ってからは、保健センターに並ぶことをやめた。やがて、びはんは車で移動販売を始めた。それを見習おうとする人たちも出てきた。
(山田町) 

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