盛岡タイムス Web News 2012年 1月 23日 (月)

       

■ 〈幸遊記〉55 照井顕 麿赤児の大駱駝・幻野行

 先日、ひょいとTVをのぞいてみたら麿赤児さんのインタビュー。その変わらなさにびっくり。僕が麿さんにお会いしたのは、1988年だったから、もう24年も前になる。

  盛岡八幡宮の境内で行われた麿赤児率いる暗黒舞踏集団・大駱駝鑑の野外公演を、陸前高田から観に来た時だ。当時は「ジョニー」にも大駱駝鑑のメンバーがバンドと共に来て舞踏ショウなどもしていたことから案内が届いた。僕はその時、79年に金羊社から出版された限定版の写真集「麿赤児・幻野行」写真家・朝倉俊博氏のサイン入りを携えて行き、麿さんにもサインをもらいながらインタビューのOKも。

  その深夜、公演合宿所の松園観音に押しかけ団員と共に飲みながらのインタビュー。酔ってザコ寝して朝テープを見たらポーズボタンを押したままの無録音。「いい話したのになあ」と、ガッカリされながら、朝に再度のインタビュー!

  麿赤児(本名・大森浩司)は、昭和18年金沢生まれ。演劇を嵐山光三郎に。古い新劇を山本やすえに。劇団状況劇場を唐十郎と設立。舞踏を始祖の土方巽に。そして72年、自らが主宰する大駱駝鑑を設立し、独特の暗黒舞踏を世界へ「BUTOH」と広めた人。名優でもある。

  全身に白粉(石膏や砥粉など)を塗った裸体を音楽にのせて超スローで動かす「物にはモノの色気ってモノがすでにある。それは素明かりが一番はっきり出てきます」舞踏は声は出せども言葉は使わない、そのことを「こと問はず舞い、答えずしてをどる。ただ契りあるとて、をどり、をどれや」(麿赤児)なのである。

  「麿(まろ)とは「自分」を指し示すことばであり、赤児は「自分が痔なんで」それを芸名とした。すると「駱駝」は言わぬが「らくだ」からかな?とは僕のシャレだが、ある時店で舞踏家の女性が「ライブの前に体育館に連れてって」と言うので一緒に行き、その練習を見て、柔軟体操たるものの、ウットリするほどの美しさと物すごさに驚いた。

  気が付けばあんなに音がしていた体育館は静まり返り、遠巻きにした皆が、固唾を飲んで見ているのだった。あの超スローな動きの舞踏を支える、柔軟な体づくりのすごさにも敬服した。
(開運橋のジョニー店主)
 

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