盛岡タイムス Web News 2012年 1月 24日 (火)

       

■ 〈大震災私記〉100 田村剛一 動き出す人々2

 医療機関も山田では壊滅的な被害を受けた。震災前には医療機関として、県立山田病院をはじめ、開業医4医院。それに4歯科医院があった。そのうち、被災を免れたのは、1開業医だけでほかはすべて被災し、医療行為を停止した。ことにも被災住民にとって痛かったのは、県立山田病院が被災したことだ。

  県立山田病院は、長い間、役場近くの八幡町にあった。この病院が老朽化したというので、新築移転することになった。移転先が柳沢地区。当時、柳沢地区は土地区画整理事業を実施中で、農地を盛土して、新しい町づくりに着手していた。

  県立病院の移転先としていくつか候補地に挙げられたが、柳沢地区に決定したのは、当初、津波の被害を受けない土地として評価されたからだ。移転したのが2006年11月。6年前のこと。

  ところが、皮肉なことに八幡町の旧山田病院は無傷で残ったが、新しい県立病院は床上浸水の被害を受け医療機器はすべて使用不能に陥り、医療を停止した。

  山田町は1カ月近く、被災を免れた一つの開業医をのぞいて、医院、歯科医院、全て休業。そのうち、医療は自衛隊やボランティアの医師団によって行われた。医療センターは保健センターや山田南小学校に、自衛隊による歯科診療所は避難所になっている県立山田高校に置かれた。

  私は医師団の世話にもなったが、特にも歯科診療所は忘れない。奥歯が痛くなってどうにも耐えられない。それで、山田高校にある歯科診療所に飛び込んだ。診てくれたのは女性歯科医。「きょうが最後ですので抜きましょう」と言って、その場で抜歯。そして「きょう、4時まではいますので、何か変化があったら来てください」と言って、化膿止めと痛み止めの薬をくれた。有無を言わさぬ治療。野戦病院の気分で、女性軍医の治療を受けた。これも忘れられない貴重な体験だ。

  そうした中で、山田在住の医師団も動き始めた。町中で開業していた医院の事務長に役場前で会ってあいさつすると、「近いうちに、古い山田病院の建物を借りて診療を始めることにしました」という。診療を始めたのが4月11日というから、震災からちょうど1カ月目ということになる。内科と整形外科。

  実は、それを待っていたのが私の妻。重い畳や水運びですっかり腰を痛めていた。診療を始めたというので、すぐに飛び込んだ。X線も入っていなかったので、問診のみ。「骨折の疑いがあるのですぐ宮古へ行きなさい」。宮古で診てもらったところ「圧迫骨折」と診断された。早く診てもらって助かった。

  この医院の診療再開をきっかけに、他の医院、歯科医も動き出すことになる。しばらくして、私の主治医が船越で診療を再開した。
(山田町) 

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