盛岡タイムス Web News 2012年 1月 26日 (木)

       

■ 〈大震災私記〉102 田村剛一 動き出す人々4

 びはんプラザに続いて近くで動き出した人がいる。私の家のすぐ下、国道に面した旧商店街で、靴とたばこを売っていた人が車販売を始めたのだ。

  この靴屋、古くは“下駄屋”と呼ばれた。父親が下駄職人で、下駄を売っていたからだろう。その息子が跡を継ぎ、下駄屋から靴屋へ。靴屋は、国道より海側にあったので、津波の直撃を受けた。店も家も、跡形もなく、完全に流されてしまった。でも、家族は、父親も娘たちも全員無事と聞いている。娘たちが小さかった頃、よく避難訓練に参加してくれていた。その体験が生かされたのかもしれない。

  その靴屋の主に、車で商売を始めた日を聞くと、「4月23日、土曜日」とのこと。その日は雨で、たばこが3個しか売れなかったという。

  車で商売するなら全く家がなくなった国道筋より、家が残った場所か、仮設住宅付近がいいのではないかと思ったが、そういかない理由が分かった。たばこの販売権は場所が指定されている、というのだ。勝手に車で売り歩くことはできなかったのだ。

  「プレハブを建てて販売しようとしたのですが許可が出なくて…」。それで店のあった場所で車販売を始めたのだ。とはいっても、元の場所には車が入れられなかったので、近くの家の駐車場を借り、そこで商売を始めたのである。

  こうした動きは、他の商店主たちにも、少なからぬ影響を与えたようだ。「私も店を出したい」そうした人たちが増えてきたからだ。そこで浮かび上がったのが仮設商店街構想。まだ、プレハブの建設は許可にならなかったので、テントによる仮設商店街建設の話が、商工会を中心に進められていた。

  その前に、個人で動き出した人々がいる。旧県立病院で、開業医の診療が始まると、人の流れが、そこに向き始めた。旧県立病院の隣で、町の薬剤師の人たちが共同で薬局を開業したこともある。

  がれきが片付き、プレハブの使用が認められるようになると、被災地跡にプレハブを建て、そこで商売を始める人たちが見られるようになってきた。元の県立病院前で花屋を再開した人もいる。店の前で花を見たとき、何となく希望のようなものが湧いてきた。

  また、元県立病院の一角を借り、びはんプラザがテント営業とは別に店を出した。その隣に、理髪店を再開した教え子もいる。長崎の踏切付近で食堂を再開した人も…。

  復興にはまだまだ遠いが、確実に自立に向け動き出す人々が増えてきた。問題は、町の復興計画が遅れていること。そのため動こうにも動けない人たちがたくさんいたのだ。
(山田町)

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