盛岡タイムス Web News 2012年 1月 26日 (木)

       

■ 〈春又春の日記〉48 古水一雄 第三十九冊「昨非録二」

 この日記は表紙に題名はなく、2ページにわたり箸(はし)ペンで大きく「昨非録二」と墨書され、「四十一年九月」と添え書されている。そして、盟友・月秋(本名:安之助)の死がつづられていくのである。
     
  「昨非録二(通巻第三十九冊)」  
 
「昨非録二(通巻第三十九冊)」
 
 
   (九月十四日)
   今暁一時月秋死去ノ報アリ、 
   碧梧桐先生ト十二楼トニ月秋死去ノ報
   出ス
 
  翌9月15日は日露戦争で戦死した南部中尉の銅像除幕式の日でもあったのだ。
 
   (九月十五日)
   朝飯、さゝぎ汁、豆腐汁、飯三ワン、
   今日ハ南部中尉銅像除幕式ダ、九時カ
   ラトイフ御案内ダ、医者ニ行カウカ除
   幕式ニ行カフカト考ヘタ、自己本位ダ
   カラ医者ノキメル、雨ガ降ツテ来タ、
   降ツタト思フタラ晴タ、医者ニ行ク、
   先生モ除幕式ニ行ツタソーナ、病人ヨ
   リ銅像ノ方ガ大切ダト見デルワイ(略)
 
   ◇碧梧桐先生ニ
   秋モ寒ク相成候 先日ハ啓之参上甚ダ
   御邪魔致シ候 御話ニヨレバ近日台湾
   ニ御出発被遊由東奥ノ小天地ニグズグ
   ズスルノ生等羨望ニ不堪候 星山月秋
   君儀兼テヨリ病臥致居候処今朝一時、
   遂にハカナク相成候 イトゝ鳴クヤ死
   ヲエラバンカハタ生カ コレガ数日前
   生ニ寄セシノ句ソノ来詠ノ悲惨ナル同
   情ノ不堪候 杜陵吟社振ハザル事久シ
   今又月秋君ヲ亡フ 秋皎子京ニ去リ秋
   風今ヤ生一人トリ残サレ候、生初メ月
   秋君ト歌ヲ以テ交ハル 今又歌ノ友ヲ
   亡フ 独リ悲シキ秋ト相成候
 
   ◇左千夫先生ニ
   星山月秋子儀兼テヨリ病気之処昨日死
   去仕候 子当日死期ヲ自覚シ「目ガカ
   シ(ス)ンデモウダメダ」ト語リ自ラ
   筆ヲトツテ釈月秋三字ヲ書シ後昏睡ニ
   落チタル由ニ御座候
 
   ◇露草君ニ
   今日カラ賣レ残リお見舞ヲアゲル、賣
   レ残リえはがきヲ以テお見舞スルワケ
   ダ、今日ハ月秋ノ葬式ヲ送ツタ 月秋
   モ銅像除幕式当日棺行シヤウトハ思ハ
   ナンダテアロウ云々
 
   午后、月秋ノ葬式ヲ本誓寺ニ送ル、四
   戸氏ノ臨終談ナド聞ク、帰途公園ニ上
   りテ銅像ヲ観 下の橋ニヨリテ葡萄ヲ
   御馳走ニナリタリ
 
  かなり長い引用になってしまったが杜陵短歌会や杜陵吟社で活動を共にしたいわば盟友ともいえる友人を失った春又春の喪失感・寂寥感が行間に色濃くにじみ出ている。
  春又春より4歳年長の月秋は紺屋町に生まれ、生家は生糸を商っていた。繭の仲買いも行っていたようで、盛岡高等小学校を卒業するとすぐに生家の仕事を手伝い、地方に泊まりがけで出かけることもあったようだ。地方から春又春宛てに出したはがきが何通か残されている。
  春又春との出会いは明らかではないが、おそらく雲軒を介してではないかと思われる。
  中央歌壇「馬酔木」に投稿して幾たびかその短歌が掲載されている。また石川啄木とも交流があり、「小天地」には“夏秋雑章”の題名で13句が掲載されている。
     
  星山月秋  
 
星山月秋
 
 
   順禮(巡礼)が水呑んで居る花野哉
 
      啄木庵庭前
   残り咲く薔薇散らしぬ秋の風
   河鹿啼く月の夜川の狭霧かな
   野を見れば湖(うみ)見れば虫の聲
   雉子の子を旅人追い去る花野哉
   夕栄(映)の海遠に見ゆ花野かな
   旅人や柿盗人を威し行く
   梢上の人猿に似る熟柿かな
   灯明りの彼方祭の夜空かな
   鎌倉の麦畑にある牡丹かな
   啼く鹿を掾に出て見る山家哉
   蕎麦萌ゆる雨の畑や百合の花
   川上の翠薇が中よ鯉のぼり
      (翠薇:遠くに青く見える山)
 
  享年27歳。短歌に俳句に豊かな才能をもちながら開花することのない、早すぎる死の訪れであった。

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