盛岡タイムス Web News 2012年 1月 27日 (金)

       

■ 〈胡堂の青春育んだ書簡群〜学友たちの手紙〉61 八重嶋勲 先生の健在余勇存ずるを知る

 ■原達

  85巻紙 明治35年6月9日付

宛 東京本郷臺町三十六 
         東北舘楼上 野村長一様
発 盛岡仁王小路 原 生(達)
 
北奥邊隅の一儒生原某恭惶頓首、再拝謹んで書を東都野村憑菫先生閣下に献ず、昨岩動某なるものあり、東部に出でゝ遍歴し諸大家の衡門を叩き帰り来りて先生の近情を告くる事詳也、座に猪川某、古木某、外数名あり、皆先生の頃日或は下手な碁を圍み、或は花札を弄し、或いはオブストに胡椒からきライスカレーに舌なめずりするを聞き、共に先生の健在餘勇を存することを知り歓喜措く處を知らざる也、
聞く桃李不言下自成蹊と眞なる哉言や、岩動某性本愚鈍而して自ら進んで先生の門下に馳せ参ず果たせる哉帰来東京花なるものを解すと実に先生の菫一陶の致すところ也、想ふに平賀宇兵衛氏性本温順にしてよく先生の命を聞く、蓋し亦、東京花なるものに感化せらるヽところ少くならさるを知る也、
又是を岩動某に聞く、先生頃日武島某なるものゝ図案を称賛措かず、先生新ら玉手を垂れて、一侯悪雑誌の為メに表紙図案に筆を染め給ふと、就て、先生新案のもの三四を見る、光彩陸離人目を眩し着想実に天外より降るものヽ如し、同人等驚嘆の聲を絶たず、只管先生の多技多能なるに服す、特に図中、先生自ら碧桐の写生と称するものヽ題字の振って居る如き、又少男少女燈下に相座す底の図案の題字の、所謂古代文字と称するものヽ、頗る時計盤面上劃く所の羅る字なるものに類する如き、或は白木黒山、実に枯木寒鴉の風趣ありて更に夏らしからざるが如き実に先生にあらずんば安んぞ功妙斯の如きを得んやと、諸同人輩一々嘆称せさるといふことなし、

  云々以下畧、
今日中学校に講演部大會あるよし僕も浩さんの演説拝聴の為メまかり出る筈、明日ハ舊暦五月五日也、同人等端午會の計畫中也、アトハゆるゆる失敬々々
   六月九日           達拝
長一兄
   梧右
  亂筆御免
 
  【解説】原抱琴は、原敬の甥。この明治33年、東京第一高等学校に入学、肺尖カタルを病み、休学したりで順調でない。この年、19歳。第何学年であろうか。浦田敬三氏編著『明治の俳人原抱琴』によれば、明治38年第3年という。明治35年5月25日、第一高等学校校友会雑誌、第117号に「晩春漫興」(上)、6月16日 第118号に「晩春漫興」(下)を掲載している。

  また、この年1月2日に「原抱琴年賀に来る。又、肺を病む抱琴に病状を訊ね同じく偈様の一文を書し与える。」(「ホトトギス」五h五)とある。「ホトトギス」は、正岡子規主宰の俳句雑誌である。

  岩動炎天が、上京し、受験勉強中の野村長一を訪ねたことを聞いての感想を書いている。また、長一の絵を称賛、抱琴の関係する雑誌の表紙の絵を書くということについての感謝も書いている。あるいは、翌年「九月三十日、抱琴の指導のもと結成された紫苑会より「紫苑」第一号創刊となる。」とあるので、その表紙絵なのかもしれない。

  盛岡「中学校に講演部大會あるよし僕も浩さんの演説拝聴の為メまかり出る」とあり、この前の「猪川箕山(浩)」の手紙の記述に符合している。


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