盛岡タイムス Web News 2012年 1月 28日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉247 岡澤敏男 小作人たれ、農村演劇を

 ■小作人たれ、農村演劇をやれ

  教師を辞め下根子桜の別宅で自炊生活に入った賢治は敷地内の荒地を開墾しながらやがて羅須地人協会を立ち上げることになった。堀尾青史著『年譜・宮沢賢治伝』によると、羅須地人協会は大正15年8月23日に創立したという。「下根子の家がすなわち協会で、そこで農村青年や篤農家に稲作法、科学、農民芸術概論などを講義する。また付近の村々に肥料設計の相談所を設け、稲作指導、肥料設計をおこなう」と解説しています。

  協会が創立した初期の頃、自炊生活を手伝いながらに約半年間共同生活をした千葉恭に賢治が「禁酒」を諭したという高名な話が伝わっている。

  「君がほんとうに農民の指導者になろうとするなら、三つの事を自分に約束するか。一つは酒をのまないこと、二つはタバコを吸わないこと、三つはカカアをもたないこと」と言われたという。これに対して千葉は「私はタバコだけはやめられそうもない」と答えたところ、賢治は「タバコがやめられないようでは、酒のことだってカカアのことだってアテにならない。この話は一切御破算にしよう」と言って笑ったという。

  また昭和2年3月8日に羅須地人協会を訪ねてきた松田甚次郎へ諭した賢治の教訓もまた高名です。松田は盛岡高農一年制の農学別科に学ぶ山形県の農家出身の学生で、この3月卒業を控えて賢治の教えを求めて訪問したのでした。夕食に握り飯、野菜スープをいただき名曲のレコードを聴いてくつろいだとき、賢治は松田に次のことを話したという。それは終生忘れ得ぬ教訓だったという。

  賢治から「どんな心構えで帰郷し百姓をやるのか」と尋ねられたので「学校で学んだ学術を充分生かして合理的な農業をやり、一般農家の模範になりたい」と答えたら、賢治は言下に「そんなことでは私の同志ではない。これからの世の中は、君達を学校の卒業生だからとか、地主の息子だからとかで、優待はくれなくなるし、又優待される者は大馬鹿だ。煎じ詰めて君達に贈る言葉は次の二つだと告げて

  一、小作人たれ
  二、農村劇をやれ

  の二点を力強く申し渡したと言うのです。

  賢治は「日本の農村の骨子は、地主でも無く、役場、農会でもない。実に小農、小作人であって将来ともこの形態は変わらない。不在地主が無くなっても、土地が国有になっても、この原理は、日本の農業としては不変の農業組織である。社会の文化が進んで行くに従って小作人が段々覚醒する」と小作論を丁寧に説明し「小作人となって粗衣粗食、過労と更に加わる社会的経済的圧迫を体験することが出来たら、必ず人間の真面目が顕現される、従って十年間、だれが何と言おうと実行し続けてくれ。そして十年後に、宮沢が言った事が真理かどうかを批判してくれ」と申し伝えたと言います。

  また農村劇についても「これは単に農村に娯楽を与えよ、という様な小さな事では無い」と持論である「農民芸術概論」の要点をかみ砕き披歴されていることが松田の著書『土に叫ぶ』に述べられている。

  賢治は松田甚次郎には千葉恭に諭した「酒を呑むな、タバコを吸うな、カカアをもつな」とは言わなかったらしい。賢治が千葉恭に求めたという「禁酒、禁煙、不妻帯」とは、千葉の本性を見抜いて多分にからかい気分をからませて諭したものとみられます。

 ■賢治が松田甚次郎に語った農村劇論
        (『土に叫ぶ』より抜粋)

  我等人間として、美を求め、美を好む以上、そこに必ず芸術生活が生まれる。殊に農業者は、天然の現象にその絶大な芸術を感得し、更に自らの農耕に、生活行事に、芸術を実現しつゝあるのだ。たゞそれを本当に感激せず、これをまとめずに散じている。これを磨き、これを生かすことが大事なのである。若しこれが見事に実を結んだ暁には、農村も、農家も、どんなにか楽しい、美しい日々を送り得ることであろう。そこから社会教育も、農村の娯楽、農民啓蒙も、婦人解放も、利己主義の打開も実現されてくる。村の天才、これはどこにも居る。歌作りの上手な人、歌を唄うことの上手な人、踊りの上手な人、雄弁の青年、滑稽の上手な人等々、数限りなく居るのだ。これを一致させ、結びつけ、綜合し、統制して一つの芝居をやれば、生命を持って来るのだ。この生命こそ、あらゆる事業をも誕生せしめ、実現させて行くことになるのである。喜びながら、さんざめながら、村の経済も、文化も、向上して行く姿が見えるではないか。


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