盛岡タイムス Web News 2012年 1月 29日 (日)

       

■ 〈大震災私記〉105 田村剛一 野菜作り

 10坪少しの裏庭がある。周囲が家に囲まれた箱庭。そこに、狭い路地を通って、軽自動車、トタン屋根、ガスボンベなどが流れ込みがれきの山をつくっていた。家族の手ではどうにもならない。

  隣りの家は大破。それを重機で解体して、撤去することになった。その奥の家も同じ。そこで、わが家の庭に流れ込んできた軽自動車やガスボンベ、トタン屋根と一緒に撤去してもらった。

  やっと、庭木が顔を出したが、それを見てがっかりした。今年こそ実がなるだろうと期待していたグミの木は、根元から完全に折れていた。

  津波前につぼみをつけていた梅の木も、つぼみをつけたまま枯れだしていた。シャクナゲも同じ。サツキももとがすっかり枯れている。植物はやっぱり塩水には弱かった。

  このままでは荒れ庭になってしまう。そこで思いついたことがある。塩水をかぶった庭なので無理かとは思ったが、野菜を植えてみることにした。

  枯れかかったサツキを抜き、土の表面に顔を出しているガラス片や金属片、木片を拾った。その上に、硝石灰を振った。石灰は消毒用として役場からもらってきたもの。でも、肥料がない。
  「肥料ならあるよ」。かき殻堆肥のあり場を知っている知人がいた。その人に頼み堆肥を手に入れてもらった。

  種は山田では手に入らない。そこで、息子の運転する車で宮古に向かった。途中見る風景はいずこも同じ。津軽石、高浜、国道沿いは全滅に近い。でも、家電を求めてこの道を通った時よりはがれき撤去が進んでいた。その速度は山田より早いように思えた。

  宮古のホーマックに入った。混んでいるだろうと思って入ったのだが、意外に客の姿は少なかった。震災で、野菜づくり、土いじりをする人が少なくなったのではないかと思った。私が野菜をつくってみようと思った背景には、今年は野菜不足に陥る心配があるように思えたからである。それなら、自給自足を考えるのも悪いことではない。そんな魂胆があったからだ。しかし、被災者の多くは、そんなことを考えるより、一日一日の生活が大事で、土いじりどころではなかったようだ。

  トマトとキュウリの苗。それに、ホウレンソウ、山東菜、シュンギクの種と、肥料として油かす、混合肥料を買った。

  はたして、津波で塩水をかぶった土地に、野菜が育つかどうか。素人の挑戦が始まると思うと、何となく明るいものが見えてくるような気がした。
(山田町)

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