盛岡タイムス Web News 2012年 1月 31日 (火)

       

■ 〈もりおか鉄道物語〉3 大内豊 幻の鉄道〜東北本線平糠〜笹渡ルート

 現在の東北本線は明治20年代、民間会社であった日本鉄道株式会社によって敷設されました。当時は日本鉄道線、また日鉄線と呼ばれていました。東京と青森間を結ぶ主要な鉄道ですが、沼宮内と一戸間の32・5`が1千分の23・8という勾配になっていて、SLの難所になっていました。もちろんのこと、その区間はスピードがダウンして時速20`に落ちて列車が詰まってしまいます。

  昭和40年代まで盛岡鉄道管理局は旅客収入よりも貨物収入が上回る貨物局と言われ、全国27管理局のうちの有数の貨物局でした。

  岩手県の全域、青森県の大半、秋田、宮城県の一部を管轄する広い管内から、貨車によって木材、木炭、まき、パルプ材、坑木、砥石、鉄鉱石、硫化鉱、硫黄、セメント、レール、コメ、豆などの穀物、鮮魚、野菜、リンゴ、牛・馬・豚などの畜産物、コンクリート製品などが多量に輸送されていました。

  輸送力の強化策として、単線時代には一戸に機関区を設置して沼宮内〜一戸間をSL2重連、3重連とすることで牽引力を強くしました。しかし、東北本線の中でこの区間が輸送の隘(あい)路になっていましたので、超スローに業を煮やした米軍運輸局が御堂〜一戸間の勾配改良を命じたのです。

  昭和24年6月から国鉄盛岡工事事務所が地形測量を始めました。この区間について昭和25年3月10日、東回りの平糠〜笹渡に移転することが発表されました。

  これにより、小繋〜奥中山間が消えることになりますので、岩手県北の人たちは当日の新聞を見てびっくりでした。しかし、そのルートは技術的な面や経費の面など総合的な観点から見送られることになり、従来路線の改良に決定しました。
(本社社長)

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