盛岡タイムス Web News 2012年 3月 2日 (金)

       

■ 〈胡堂の青春育んだ書簡群〜学友たちの手紙〉66 八重嶋勲 貴君の下宿に2週間おいて

 ■太田大次郎

  94はがき 明治35年9月27日付

宛 東京市本郷台町十九番地 三州舘内 野村長一兄
発 盛岡市志家五五 太田大次郎
 
拝啓小生本月末頃苦学ノ目的にて上京仕候が、貴君の下宿に同室に長くして二週間計置いてくれまじく候や、小生の考は下宿めしを食はづして至急経済的に二週間計凌ぎ度候、その間東京市中所々金取口に就き奔馳致度候、決して君の学費にじやまは致さぬ可く、唯同室にとめて貰候はよろしく候、小生の親友にして今在京中のものなくぶしつけながら君に御願致候、
 
  【解説】太田大次郎は、盛岡市鍛冶町四九の住まい。盛岡中学校卒業名簿によれば、明治三十一年卒業生。田丸節郎東京工大教授・原敢二郎海軍中将等と同期。太田愛人氏(牧師、エッセイスト)の父。長一の四級上である。苦学して上級学校に入る覚悟で上京したい。ついては長一の下宿屋に二週間程置いてほしいと念願している。
 
  ■宮川慶吉

  95はがき 明治35年9月27日付

宛 東京市本郷区台町十九番地 三州舘内 野村長一様
発 杜陵(盛岡)市材木町 宮川慶吉
 
いや其後ハ大ニ失敬致□□□るが君□□壮建(健)ニて居リマスカ伺ヒマス、小生もゆく事に候、扨テ浩さんも猪川先生ふく□□節□□□□致□□□□出所ニ困リ大ニ□□□□□頃合トなり升が、何連其事ナラハ浩さんよりアリマショウ、又今回太田大次郎君上京致スニ付き宿ル所ヲ見付ナければなりマせん、故ニ只今田中舘博士ノ内ニテ下て弟香次郎ノ独りと書生トして入レ呉連ザルヤ、照井君ニ御問合せ云下さ連度候、又太田大次郎君ハ近々中ニ君ノ処ヘ行くカも知レマせぬ何連早く願ヒマス
 
  【解説】赤鉛筆で薄く書いたはがきで判読困難であるが、このはがきは、同日付、太田大次郎のはがきを裏付ける。

  前段の猪川静雄先生のことは重大なことのようであるが、判読できないのは残念である。宮川慶吉は、本籍盛岡市材木町三十七で長一と同級生。胡堂の随筆に出てくるので紹介したい。

  「新岩手人第十八号」に「猪狩見龍君の思ひ出」がある。盛岡市長町田圃に共同自炊生活をした頃のことである。「(前略)ストライキが済むと、私と猪狩君と、外二三の同志が長町裏の田圃の中で、自炊生活を始めた。村上なみ六の『五人男』そつくりと言ふ面白いものであつたが貧乏なことも非常で、数へ切れないほどの奇談を作つた。薪は買つた事無し(大抵近所の柵を引つこ抜いて来て焚いた)家賃も恐らく半分位しか払わなかつたらうし、金も米も無くなると、二日位食はずに居ることが珍らしくなかつた。桜の咲く頃、秋田から島田五工がやつて来た。前年の秋田旅行で世話になつたお礼にうんと御馳走したは宜いが、翌る日から金も米も尽きて了つて、皆んな布団の中へ潜り込んで誰かへ為替が来るまで寝て居ることにした。一番先に悲鳴を挙げた奴が弱虫と言ふ事になつて食糧の世話をしなければならなかつたのだ。二昼夜経つたが、一人も屁古垂れるのは無い。横着な狸寝入りが、無限に続き相だつたが、その頃近所に居た宮川慶吉君(快男子であつたが惜しいことに若くて死んだ)がやつて来てこの絶食同盟(ハンスト)に驚いて、ツイ近所の自宅から米三升と沢庵を持つて来てくれたことがある。猪狩君などはこんな我慢にかけては決して人後に落ちる方では無かつた。この自炊生活は非常に面白いものであつたが、詳しく書いて居る時間も行数も無い。他日又語る機会もあらう。(以下略)」という文章である。

  父長四郎の書簡の宛先によれば、ここには5カ月位暮らしたようである。

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