盛岡タイムス Web News 2012年 3月 6日 (火)

       

■ 〈大震災私記〉131 田村剛一 友人の証言9

 同じ町にいても、よその地区の様子はなかなか分からない。人に会わないからだ。時が経つにつれ、いろいろな人と話ができ、その人たちから貴重な体験が聞けるようになった。役場職員である知人もその一人。

  知人は、地震を公民館で感じると、「これはただ事ではない」と直感し、防災担当地区である田の浜の漁村センターに向け車を走らせた。ラジオにスイッチを入れると「津波の高さは3b」を報じていた。

  田の浜の手前、前須賀にさしかかると、ラジオは「10b」に変わったという。その時、姉とすれ違った。手を上げ、そのまま先を急いだが、まさか、これが姉を見た最後になろうとは、予想もしなかったという。

  漁村センターは海から2百bほどのところにある。そこには、30人近い人たちが避難し外で寒さにふるえていた。そこで、2階からストーブを下し、室内を温めてから避難者を中に入れるよう指示しているところに、下からバイクを走らせてきた人がいる。

  「津波だ、水門が破られた」その声で下の方を見ると、女川という小さな川から水が吹き出していた。知人は、ここも危ないと感じ、ストーブを下すのをやめ、全員を高台に避難させた。これが正解。もし、漁村センターに人を入れていれば、多数の犠牲者が出た。漁村センターは完全に波をかぶったからだ。

  「全員避難させた。私はどうすればよいか」と避難完了の報告を町の災害対策本部に入れた「すぐに避難せよ」それが本部からの指示。それに従ったが、以後、連絡が取れなかったため、本部の方では「犠牲者第1号」に数えていたようだったと知人はいう。

  漁村センターを出ると、上の方から県北バスと幼稚園の送迎バスが海の方向に向かって下りてきた。知人は「津波だから引き返せ」といって車を止めバックさせた。

  それから、自分の家が無事であることを確かめ、近くの山に登った。そこから眺めた船越湾。船越湾から入った波と山田湾から乗り越えてきた波がぶつかり、山の内付近で30bもの水柱を上げたという。同じ光景を山田湾側の浦の浜付近で見ている人もいる。この水柱の検証も必要であろう。

  人の運命とは分からないもの。バイクで津波を知らせに来た男性は、再び海の方に戻って行き、それ以来、人の前に姿を現すことはなかった。田の浜地区は、高台を残し壊滅した。

  知人は、漁村センターに集まった人たちを全員高台に避難させ、ほっとしたのもつかの間、隣の家から失火した火事で、自分の家が燃え果てて行くのを見ているしかなかった。

  知人は、役場職員としての任務は果したものの、家と姉を失い、彼にとってもまたつらい震災であったのだ。
(山田町)



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