盛岡タイムス Web News 2012年 3月 8日 (木)

       

■ 〈あのときを忘れない〉1 守る、備える、伝える 北山自治会総務部防災隊

     
  民生委員、自主防災隊として災害時要援護者と日ごろの「ご近所づきあい」を通じ、災害時の安否確認などが実践できるよう取り組む相馬宏さん(左)  
  民生委員、自主防災隊として災害時要援護者と日ごろの「ご近所づきあい」を通じ、災害時の安否確認などが実践できるよう取り組む相馬宏さん(左)  

 停電、断水、燃料・物資不足。東日本大震災津波は、盛岡市はじめ内陸にも大きな混乱と影響をもたらした。明かりと暖を求め、自主避難した市民もいる。流通の途絶で不足した食料品やガソリンの確保に苦労した。行政、市民が考えもしなかった「想定外」の事態。それでもみんなで知恵を絞り、助け合った。あれから間もなく1年。当時の教訓を今後起こる災害に、どう生かし、備え、伝えるか。あのときを忘れずに、考えてみたい。(大崎真士)

  ■1年前、あの時

  長くて振幅の大きい地震が盛岡市内を襲った。街灯が激しく揺れ、信号機が明滅しながら次々に消えた。全戸が停電し、都市機能や交通、生活もストップした。午後2時46分、1年前のあの時。

  停電は2日目から徐々に解消され始めたが、電気がすべて復旧したのは3日後の3月14日。電気を使ってくみ上げる方式の水道は軒並み断水を余儀なくされた。マンションや大きな建物、都南地区の一部など浄水場単位で、11日4767世帯からピークの2日目に4万6867世帯と10倍以上に膨らんだ。

  指定避難所やそれ以外の地域のシンボル的な施設へと明かりや暖房を求めて自主避難する市民もいた。12日夕方時点で計64施設に最大4496人が避難した。20日に避難者がいなくなるまで、避難所が存続した。

  この中には市外、県外から来た生徒や観光客ら「帰宅困難者」が大勢いた。

  ■自動車が踊った

  「自動車が踊りを踊って、木造の家は崩れるんじゃないかと思った。電柱がメトロノームのように揺れた」。北山自治会総務部防犯担当の相馬宏さん(70)は、自宅から近い盛岡市北山1丁目のスーパーに入店した途端、持っていた携帯電話の緊急地震速報が鳴り響いた。慌てて外に出た。

  自治会自主防災隊の事実上の責任者で、民生委員として自分が受け持つ約30人の要援護者の家々を回った。インターホンを何度押しても返事がない。停電だから鳴るわけがない。ドアを力強くノックし、声を張り上げた。

  「怖かった」。85歳のおばあさんに両手で抱きつかれた。自治会内の被害は灯油タンクの転倒と給湯器配管が外れた2件だけ。

  相馬さんの自宅は置いている向きで書棚のものが多少落下している程度だったが「おかしいなと思ったら、グランドピアノが十数aずれていた」。  

  

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