盛岡タイムス Web News 2012年 3月 12日 (月)

       

■ 〈続幕末維新随想〉1 和井内和夫 西と東の違い

 ■戊辰戦争の正義

  戊辰戦争の結果により、政権は徳川幕府から薩長両藩を中心とするいわゆる明治藩閥政府に移ったわけである。

  その戦争の経緯をみると、徳川幕府の方は歩兵隊など直轄軍もまた徳川の私兵とも言うべき譜代藩軍も、緒戦である鳥羽・伏見の敗戦後早々に消滅あるいは西軍に寝返ったため、薩長軍を中心とする東征軍はそう大きな戦いをすることもなく中部・関東地方を制圧した。(もっとも彰義隊による上野戦争と、残存歩兵隊などの関東北部や会津地方での戦いはあったが、所詮は局部的な戦いである)

  戊辰戦争が終結したのは、幕府艦隊を率いた榎本武揚が立てこもった函館五稜郭要塞が陥落した明治2年5月18日であるが、政権そのものは形式的にはその前々年慶応3年12月の王政復古の告示により薩長側に移っており、そしてその翌年4月11日の江戸城明渡しによってそれが名実ともに明らかになっていた。

  しかしそれにも関わらず、それよりも1か月以上も後の閏4月下旬になって、戦場を東北と北越地方に移し、薩長を中心とする西軍と仙台・米沢両藩を中心に東北および上越諸藩が結成した奥羽越列藩同盟軍との戦いが始まったのである。

  対戦者それぞれの言い分であるが、薩長など西側は天皇を担いでいるから正義だと主張し、それに対し同盟側は、それは建前あるいは形式で、薩長両藩の本当の狙いは政権の奪取であり、それに加えて、幕末騒乱期に京都と江戸で薩長両藩に敵対した会津・庄内両藩に対する私的報復が目的だとしている。

  どちらが正義かであるが、そもそも正義の定義そのものが問題であるので、戊辰戦争についても、古今東西を問わないすべての戦争と同様、どちらかを正義と決めつけるわけにはいかない。

  「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉がある。ここで言う官とは政権のことで、勝って政権を取ってしまえば理屈はなんとでも付けられるという意味で使うが、勝者薩長が政治権力を握った明治期における正義とはすなわち薩摩であり長州であった。
(盛岡市本宮)

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