盛岡タイムス Web News 2012年 3月 13日 (火)

       

■ 〈大震災私記〉134 田村剛一 山田町と津波

 「こんな津波は初めてだ」。会う人は異口同音に、こんな言葉を吐く。

  私と同じ、70代以後の世代は、せいぜい体験していても、チリ地震津波ぐらいのもの。チリ地震(1960年)以降に生まれた世代は「津波警報」や「注意報」は知っていても、津波の経験はない。

  昭和8年。三陸津波を体験した人たちもいるにはいるが、記憶しているとすれば、90歳以上の高齢者で、その記憶も危うい。現に私の母は94歳になり、15歳ぐらいで津波に遭っているはずなのに、全く記憶がないという。それだけ人の記憶は風化しやすいのかもしれない。

  「こんな津波は初めて」と、口をそろえて人が言うように、本当にこんな津波は初めてだったのかどうか。

  実は、山田町で「山田町津波誌」という842nにおよぶ、津波記念史を発行している。宮城県沖地震が近いと発表されると、この本に注文が殺到し、今は社会教育課にも残部はないという。

  私の蔵書も多くは津波で流されたが、この「津波誌」だけは、生き残った。その中で明治29年、昭和8年の三陸津波と、昭和35年のチリ地震津波の詳細な記録が残されている。

  なぜ、津波誌で語られている教訓が、どうして生かされなかったのか。生かされていれば、もっと犠牲者を少なくすることができたのではないかと思い、残念で仕方がない。

  編集者の名前を見て、津波を語れる人はいなくなっているのだなと思った。編集者には23人の名が連ねられている。その中で今も生きている人は4人いるが、明治津波の体験者は全員亡くなっている。昭和8年津波体験者さえ、わずかに1人。チリ地震津波の体験者も数人しかいない。真剣に津波を語れる人は山田にもいなくなっていたのだ。

  山田町津波誌をひもといてみると、今回のような大津波は実は初めてではない。犠牲者の数だけみると、明治の三陸大津波の方が今回をはるかに凌いでいる。岩手県全体の犠牲者は2万1801人とある。岩手県一県だけで今回の東日本大震災の犠牲者に匹敵するのだ。ちなみに山田町の犠牲者を旧町村別にみると、次のようになっている。

  船越村 1327人(人口2295)
  織笠村 67人(人口1800)
  山田町 1040人(人口3746)
  大沢村 550人(人口1036)
  計 2984人(人口8877)

  当時、9千人の人口で3千人もの犠牲者が出ていたのに、なぜ、山田の人たちは悲惨な津波の歴史を忘れてしまったのか。そのことが残念でならない。
(山田町)


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