盛岡タイムス Web News 2012年 3月 14日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉272 伊藤幸子 「癌を抱く」

 癌を抱くと。かかる日が来て受け容れてそれも忘れて冬の花咲く
                                          秦恒平
 
  衝撃的な本が届いた。秦恒平先生の「湖の本」110巻、「千載和歌集と平安女文化上」3月14日号の「上巻序に代えて」に絶句。これは昭和61年創刊の「秦恒平によるもはや入手しにくい原稿、版の絶えた単行本を主として年に四、五冊、同じ装丁の簡素な形で」刊行されているもので、もう26年になる。いつも先生直筆の流麗な栞がはさまれてあるのだが、今回は「我愛其靜 ご機嫌よう」とパソコン文字で初めて頂いた。

  「ちょうど十年前、二〇〇二年六十六歳の正月にわたくしは〈ろくろくと積んだ齢(よはひ)を均(な)し崩しもとの平らに帰る楽しみ〉と歌っていたが、十年後の今年正月五日、聖路加病院人間ドックは、疑いようのない胃癌を発見し、二月十三日に入院、十五日には手術と決せられた」とあり、胃全摘と胆嚢切除をされて、三月十日退院予定と書かれてある。

  先生は、古今和歌集に始まる平安八代集の中で、七番目の千載和歌集が歌風として「好き」と言われる。よく「好き嫌い百人一首」とか、源氏より平家が好き、後鳥羽院より後白河院が好き等と書かれ、ファンを熱くさせられる。

  後白河院は崇徳院の実弟。母親は絶世の美女待賢門院璋子(たまこ)で、鳥羽天皇の中宮なのに白河院の子を産んだとされる。しかし老齢の白河院崩御のあとは璋子と崇徳母子の無惨な境涯となり、崇徳帝は讃岐に流され46歳で憤死される。

  さて、藤原俊成に「千載和歌集」の撰を命じたのは後白河院。「梁塵秘抄」も遺された。大河ドラマ「清盛」には時折「遊びをせんとや生まれけん」というさざなみのようなフレーズが流れるが、それも後白河院の手厚い芸能保護のたまものかと思えば歴史が近くなる。

  清盛と西行は同年齢。23歳での西行の出家の原因は璋子への恋ともいわれるが、秦先生は「西行にとって璋子は母にも近い拝跪(はいき)と讃仰の対象だった」と解かれて素直にうなずける。そして絢爛の源氏絵巻を推進したのは璋子かとの説にはまさにこの方をおいてあり得ないと納得した。保元、平治の乱からさらに治承、寿永の動乱へ。中世の足音が近づいてくる。

  「逢ふと見しその夜の夢の覚めであれな長きねぶりは憂かるべけれど」私の好きな西行の歌。「何度も何度も何度も飽かず読みまた読んで、ひたすら〈私の思いに適う〉秀歌を編んだ。千載和歌集の精髄はこれで足りると思っている」と、362首の秦恒平撰に静かな断定を下された。
(八幡平市、歌人)


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