盛岡タイムス Web News 2012年 3月 16日 (金)

       

■ 〈大震災私記〉137 田村剛一 山田と津波4

 チリ地震津波は子どもの頃から聞いていた「白い牙をむき出しに襲ってくる津波」とはいささか様子を異にしていた。静かにノッソリノッソリやって来たからだ。

  被害を受けた人たちは、「恐ろしい津波だ」と言っているが、被害に遭わなかった人たちの中で「津波ってこんなものか」と感じた人は少なくない。

  たまたま、私と一緒に津波を体験することになった人は、金沢に帰ると「俺は貴重な体験をした」と言って、会う人ごとに津波の体験を話して聞かせた。その友人も「怖かった」という言葉は、一度も口に出したことがない。

  このチリ地震津波が山田のみならず、三陸沿岸住民の津波観を変えたと言ったら、言い過ぎだろうか。私はそうは思わない。チリ地震津波の体験が避難を鈍らせたといっても間違いないように思える。それと、メディアで発せられる地震情報の乱発である。

  チリ地震以前は、震度3、震度4程度の地震が発生すると、沿岸の人たちは自発的に高台に避難した。いつも老人と子どもが先頭役、中にはリヤカーで体の不自由な人や家財道具を運ぶ光景も、何度となく見ていた。

  私は外に出ることはあっても、避難したことはない。「ここまでは、絶対津波は来ない」と言われ育ったからだ。ただ、万一に備え学校のカバンだけは、いつも枕元に置いて寝た。何かあったら、カバンを背負って逃げることになっていたからだ。当時、子どもの財産といえば、カバンぐらいしかなかったからだ。

  チリ地震津波以後、様子が一変した。地震があっても避難する人が少なくなったからだ。いつの頃から、テレビで地震情報が出されるようになったか分からないが、この地震情報が「日本人」の自発的避難を鈍らせたと言っても過言ではないような気がする。警報や注意報が出されても、空振りすることが多くなったからだ。情報の出し方にも問題があった。「避難しなさい」と言うより「今後の情報に注意してください」。そんな放送が多かったからだ。これでは、避難するよりテレビの前にいろと言っているようなもの。

  実は、沿岸住民は地震情報の乱発でオオカミ少年にされていた。今回も大津波の2日前に注意報が発令になったが、この時も津波は発生しなかった。「予想される高さは3b」を聞いた時「またか」と言う人と「3bなら防潮堤は越えない」と判断して、避難が遅れた人があったという。

  今回の津波で犠牲者を多く出したのは、やはりどこかに津波に対する甘えがあったからだ。当地では「波をのらしたからだ」というが、その通りかもしれない。
(山田町)


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