盛岡タイムス Web News 2012年 3月 19日 (月)

       

■ 〈大震災私記〉133 田村剛一 津波トラウマ

 人が死んで流れてくる光景を見た小2の子どもがショックを受けないはずはない。家で津波の話をしたり、津波のテレビを見ていると具合を悪くするようになった。完全に、ショックを受けトラウマに陥ってしまったのだろう。

  人に言わせると、家族が助かっただけでもよしとしなければとなるそうだ。その通りであるが、助かりはしたが、ショックを受けている子どもたちは多いはずだ。

  子どもたちの中には、親を失ったり、兄弟姉妹を失ったり、中には家族全員を失い、孤児になった子どももいる。このような子どもたちのショックは大人では考えられないものがあるだろう。こうした子どもたちの支援や教育が、今後の大きな課題になりそうだ。

  テレビは、3カ月になっても、悲惨な光景を放映し続けている。もちろん、世紀の記録として残すことは必要だが、今回の津波で、心に傷を負った人たちが多くいることも忘れてはならない。

  トラウマに陥っているのは、子どもだけでない、大人にも多い。いとこの一人は、津波被害は床上浸水で、おそらく大規模半壊。家は3階建てであったので、大事なものは上に置いて避難した。いとこは、津波の時には2階に避難して、引き潮の時、家を脱出して逃げた。

  逃げ終えた時には「家も生命も残ってよかった」と思ったろう。1階の浸水なら我慢しよう。そんな思いで、近くの役場前に避難したはずだ。

  ところが、その後、発生した火事で、あっという間に、家は全焼、家に残した貴重な財産を全て失った。それから、気持ちが不安定になったようだ。それがトラウマを生んだのかも。

  私が、おいの家に避難しているのを見て「みんなが困っているのに、のうのうとしている」とも言った。何も、のうのうとしていたわけではないが、家が半壊で済んだ上、おいの世話を受けるなんてことは、ぜいたくのように思えたのだろう。それだけ、いとこには、火事のショックが大きかったと思われる。

  いとこは息子の商売のこともあり、早めに避難所生活を切り上げ、アパートを借りて息子夫婦と共同生活を始めた。

  その時も、まだ精神的には安定せず「まだ焼け跡を見に行っていない」と言った。人よりも早く焼け跡に行って、何か残っていないかと、焼け跡探しをするぐらいの人かなと思っていたのに、それができなかったのだ。

  それから少しして、再びアパートを訪ねると、一枚の写真を出して見せた。「残ったのはこれ一枚だよ」。それは、今は亡き夫の両親が営んでいた古い店の写真。山田でも、老舗の店であった。この店も火事で焼失、実にいとこの家は、昭和以降3代にわたり火災に遭うことになった。3度にわたり火災で家を失うとなるとトラウマに陥るのも無理はない。
(山田町)


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