盛岡タイムス Web News 2012年 3月 21日 (水)

       

■ 〈大震災私記〉140 田村剛一 津波トラウマ3

 時折、私の大震災私記を読んだという人に声をかけられることがある。町外の人には、「山田も大変なんですね」と言われることが多いが、町内の人には「田村さんらしくもない。もっと、山田の町づくりについて書きなさい」とか「もっとかわいそうな人がいっぱいいる」と言われることが多い。

  もっと広く山田のことを、と思うのだが、それは無理。被災者に気軽に声をかけることがなかなかできないからだ。声をかけたら「みんな死んだ、俺だけ残った」と言った人もいる。どんな言葉が返ってくるか心配で、声をかけられない人もいる。だから、どうしても直接、私が見聞した体験記になってしまう。

  この津波トラウマもそう。「外に出るのもいやだ」「人に会うのもいや」そう言って毎日、自分を責めている知人女性も、私の身近な人。

  「千代ちゃんの家族に会うのがつらい」。会うたびに口ぐせのようにそう言う、千代ちゃんというのは、知人の母親と一緒に亡くなった弟の妻。知人にとっては義妹にあたる。

  知人は私の義妹、私の父と従姉の父は兄弟。仲の良い兄弟だったので、私はよく叔父の家に遊びに行った。この叔父に一人息子がいた。叔母と一緒に津波で亡くなったのが、その一人息子の妻である。

  従弟は盛岡でお役所勤め、3月で退職予定であった。母親が達者なうちは、娘やめいが代わる代わり面倒を見に来ていたが、認知症の気が出てくると、面倒を見ている人たちに嫌味をいうようになり、近づかなくなってきた。

  そのことを長姉である従姉が弟に伝えた。それで、半年ほど前から、長男の嫁が、叔母の面倒を見るため盛岡から来ていたのだ。

  地震後、従妹は、国道に立っていた叔母を連れて母の家に行った。ここなら、海から遠いので大丈夫、それで家の様子を見るため自分に家に向かった。その時は、ここまで津波が来るとは予想もしていなかったが、「2階に避難したほうが良いかもしれないよ」と告げた。義妹も「そうしますから」と言うので、安心して自分の家に向かった。

  神棚のものが落ちていたので、それを片付けていると、外が騒々しくなった。海の方に目をやると褐色の煙が立ちのぼっている。それが津波の水煙り。

  急いで母の元に向かった。家から100bほど離れている旧山田病院に来たときには一面水浸し、その水をかき分けて家に行ったときには叔母が1人2階にいるだけで、母と義妹の姿はなかった。2人とも流されたのだ。

  「千代ちゃんを呼ばなければよかった」「自分が母の面倒を見ていれば…」そんな思いで毎日暮らしているという。重い十字架を背負いながら生きている人もいるのだ。
(山田町)


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