盛岡タイムス Web News 2012年 3月 23日 (金)

       

■ 〈大震災私記〉142 田村剛一 防災教育2

 遠野高校に赴任していた時のこと。私はここでは社会科の中の「倫理」という科目を担当させられた。私の専門の地理とは全く違う。「地理と倫理は違うので受け持ちを変えてくれ」と言ったが後の祭り。「地理も倫理も、理がついているから同じようなものだろう」。何とこれが管理職の弁、全く信じられないこと。

  倫理の教科書には、地震や津波のことは、ひとかけらも出て来ない。それでも、遠野の生徒たちに津波の話をしてやることにした。

  ところが、生徒の中に「私は受験です。津波の話はいりません」とか、「遠野は津波とは関係ありません」というのが出てきた。この言葉を聞いて「待ってました」と思った。

  「この中で、学校の教師をしたいと思う者はどのくらいいるか」と言って挙手を求めた。すると、何人かが手を挙げた。そこで、男鹿半島で津波の犠牲者になった小学校の遠足の話をした。「先生が、少しでも津波のことを知っていれば防げる悲劇だった」。その話を聞いて、生徒たちは納得したようだった。

  同じようなことが、盛岡でもあった。でもここの生徒たちは「先生、受験勉強は、自分たちでしますから。いろいろな話を聞かせてください」となった。ここは、地理ということもあって、実際体験したチリ地震津波や有珠山の噴火の話をした。

  しかし、高校の現場では、防災教育は聞き入れられなかった。防火訓練には一生懸命で、年2回実施する。町の消防署員が消防車でかけつけてくれる。避難の状況や消火指導をした後、講評があった。

  私は、沿岸の学校に赴任している間、合わせて25年、その間「津波防災」も加味してほしいと提案したが、それは、全く聞き入れられなかった。その原因はいくつかある。学校は高台にあり、津波の被害は受けないと考えたこと。たしかに、山田高校、大槌高校共に被災は免れている。

  最大の原因は、教師の側にあった。内陸出身の教師が多く、津波に対する関心や知識が乏しかった。だから「防火訓練で十分」という教師が多かった。

  それでも、一度だけ「田村さんがそう言うなら」と、防火訓練の終わった後に、津波について話をする時間を10分間だけ私にくれた。

  防火訓練が終わり、講評やら校長の話がだらだら続いた後、私の話を真剣に聞く生徒はいなかった。それで、それ以降、津波防災の話はなくなった。

  わたしが教壇を去ったのは、今から12年前。私の防災教育の話はそれまでのもの。その後、宮城県沖地震の確率が高くなって来ていたので、防火教育に力を入れるようになった学校はあるかもしれない。
(山田町)


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