盛岡タイムス Web News 2012年 3月 24日 (土)

       

■ 〈大震災私記〉143 田村剛一 防災教育3

 学校全体での津波防災教育が無理と分かった時点から、私は自分の授業で防災教育をしようと決心した。

  それを促す事態が生じた。20年ほど前になるが、山田高校時代に、夜中に津波警報が発令になったことがある。翌日、私の授業の時に「津波警報と聞いて避難したかどうか」、3クラス100人ほどに挙手で聞いてみた。

  「避難した」と答えたのは、たった1人。大浦地区に住む女子生徒。「避難しなかった」というのが大多数。挙手での調査だから、避難したのが本当に1人であったかどうかは分からない。それにしても少ない。

  私の家までは「津波は来ない」と言われて育ったが、津波警報が発令になると、必ず外に出た。生徒たちの中には、今までの津波で被害を受けた家がたくさんあるはずだ。現に私の知っているチリ地震津波でもそうだ。もし、こんな状況が本当なら大変なことになる。 「こんな状態では大津波が来たら、この中の何人かは死ぬぞ」と言って警告した。生徒から返ってきた言葉は「先生、大丈夫だでば、いざという時には逃げるから…」。

  今回の津波で残念ながら、私の警告の方が当たった。山田高校で私の教えた生徒が少なくとも3人犠牲になっていることを知らされていたからだ。そのうちの2人はよく知っている。

  その1人は車で逃げる途中、高校生になる息子と一緒に犠牲になったという。漁師をしている弟の手伝いをしていた。その弟である教え子に「浜の復興の方は進んでいるか」と声をかけた時「それどころではありません。姉とおいがやられました」と言われた。それで教え子が亡くなったのを初めて知った。

  もう一人は、水産加工場に勤める教え子。5人の仲間と一緒に流されたという。気立てのよい娘で、会うといつも笑顔であいさつしてくれた。授業でしか教えたことはないが、忘れられない生徒の一人。いつも授業の時には私の方を見ながら私の話を聞いていた。そのクラスの授業の時には、いつもその生徒の顔の表情で授業の受けの良しあしを判断していた。その教え子が亡くなったと聞いた時には、心に大きな穴が開いたように思えた。

  それにしても「いざというときには逃げるから」と言った男子生徒たち。果たして本当に逃げ切ることができただろうか。その時の学年の男子生徒が亡くなったという知らせを聞いていないので、悲報が届かないことを祈っている。

  津波だけは高台に避難しさえすれば、犠牲者を出さなくて済む災害だ。それを学校教育の中で徹底していれば、もっと犠牲者は少なくて済んだのではないか。そんなことを今回の津波で思った。

(山田町)

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