盛岡タイムス Web News 2012年 3月 26日 (月)

       

■ 〈幸遊記〉64 照井顕 七戸国夫の愛の宝石箱

 日本を代表するギタリストの一人で、日本ギタリスト協会の副理事長も務めた七戸國夫さんが交通事故で亡くなってから今年(2012年3月15日)で19回忌を迎えた。「19(ジューク)は音楽の意味!」と、僕は69回目のジャズ講座にて、七戸さんが遺していったクラシックギターアルバムの特集をした。

  彼の姉、故・及川友子さんが描いた“美しい花”そこに込められた“音楽の希(ねがい)”をジャケットにした最後の作品、1993年のCD「愛の宝石箱」は長い時を経てなお、先のアルバム「月の光」と共に聴手耳心に届く。

  彼は、僕と同い年の1947年盛岡生まれ。父母が高校教師だったことから、小学時代を大野や田野畑村で過し、盛岡上田中学、盛岡一高へと進んだ。その高1の春、TVでギターを弾く「ナルシソ・イエペス」に感激。その後「アンドレス・セゴビア」のレコードを買って聴き、ショックを受け、プロ・ギタリストになる決心をしたという。

  以来、地元で菅原忍氏に、卒業後は上京して溝渕浩五郎氏に師事。1日10時間以上もギターを練習したという。1969年、盛岡での初リサイタル。東京でのデビューはさらに4年の研さんを積んだ後の73年。翌74年には「ポピュラーギター入門」なるLPレコード(楽譜も同時発売)を発表し、ギターを志す若者たちの模範となって出発した。

  91年11月10日、彼は初めてジャズ喫茶での演奏会を開いた。所は僕の店・陸前高田「ジョニー」。演奏後「何をどんな風にやろうか、と、かなりのプレッシャーだった」ともらした。その録音を聴きながら「もう、こんな演奏は出来ないかもしれない。大事に保管しておいてくれませんか」と言い残し帰って行った。

  「ギターは小さなオーケストラと言ったのはベートーベンだが、その大きさとは違う、極めて精神的なオーケストラでしょうね。そう、ガーッ!とじゃなく、ひたひたと伝わって来る様な音だと、そう、思っている」と言った彼の言葉が、今も僕の耳に残っている。

  毎年各地で行われた追悼演奏会に何度か呼んで頂き、彼が亡くなる5日前に書いた詩「さざなみのくに」に曲をつけ、唄わせて頂いた記憶までもが戻って来る。
(開運橋のジョニー店主) 

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