盛岡タイムス Web News 2012年 3月 27日 (火)

       

■ 〈古都の鐘〉51 チャペック・鈴木理恵 冬から春へ(上)

     
   
     
  ある朝まだ夜も明けない頃、突然救急隊から家に電話がかかってきたのは、この年末のことだった。義母がよくない、と言う。昨日まで何ごともなかったのにどうしてと、ふに落ちない気持ちを抱えながら、慌てて、靴を履くのももどかしく、義両親のところに駆けつけると、義母はとうに逝ってしまっていた。電話の時にはもう終わっていたのを、係の人が気を遣って言わないでくれていたのだった。なんでもどこか血管が破裂して、夜中起き上がろうとした瞬間、気を失ったらしい。そのままの形で、最期になった。朝に食べようと、水に浸してふやかしてあったプルーンが、テーブルに取り残されていた。

  普段はとんと忘れているけれど、死は、実はすぐそばにあるのだ。義母は、まるで母猫に首根っこをくわえられて連れて行かれた子猫のように、あの世に行ってしまった。88歳、まあ、大往生といえる齢ではあったけれど、あっけないものである。足腰は悪いものの、91歳のおじいちゃんをかいがいしく世話する、まだまだ元気なおばあちゃんだった。ほとんど苦しまないで逝っただろう、それが幸いだった。

  義母の急逝で、老夫婦肩を寄せ合うようにして営んで来た毎日の生活は、急に、弓が弾けるように、クリスマスを待たずに終わりを告げた。

  死後の処理や葬儀の準備などと共に大変だったのが、義父のことである。誰よりショックを受けたのが、彼であったかもしれない。戦争を挟んで60年以上一緒にいた相手が、急にいなくなってしまったのである。年齢のことも身体の状態のこともあり、彼自身、義母より先に逝くだろうと言ってはばからなかったのである。大粒の涙をぽろぽろこぼして、僕をおいてっちゃった、僕をおいてっちゃった、と泣く義父を初めて見た。

  とにかく義父をひとりにはしておけない。第一、身体の不自由からひとりでは何もできない。義母と最後のお別れをして、遺体が安置所に運ばれていくのを見届けてから、いやがる義父をなだめて市内の病院にしばらく滞在させることになった。

  あの気丈な、信心深い彼が沈鬱(ちんうつ)し、生きる希望をすっかりなくしてしまっている。そこに兄妹3家族が交代で、義父のところに付き添って励ますのだが、きれいに飾られた病院のクリスマスツリーを見ても、過去の楽しさを思い出すばかりでつらさが募る、今年は悲しいクリスマスだった。

  それと同時に、介護施設の空きを一刻もはやく確保しなくてはならない。そして膨大な費用の補助も、申請しなくてはならない。いくつかの施設を駆け足で見て回り、入居の申し込みをし、ウェイティングリストに載せてもらう。

  2階の部屋が空きました、と連絡がきたのは、3週間も経った頃だったろうか。病院は仮のすみか、私たちも次の段階へと移らねばならない。こうして年の瀬も押し迫ったある午後、義父は介護施設に移った。
(つづく)


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