盛岡タイムス Web News 2012年 3月 28日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉274 伊藤幸子 「昭和の子」

 教へ子の母たちなべて若かりし顔浮かべども老いてを知らず
                              橋本喜典

  春、巣立ちの季節を迎えた。卒業の子らも先生方も、そして保護者たちも今、晴れわたった空の下、通いなれた校舎をあとにする。生徒にとって担任の先生はひとりだけれど、先生は何十人もの生徒とその家庭を毎年見守ることになる。「母たちなべて」もちろん先生も若かった。終戦子の私達もたまに集まるが、いつも「先生の記憶力」の話に盛り上がる。「出来の悪い子ほど忘れないというからなあ」と、また純朴なむかし話に笑い合う。

  「あのときはなに愉しくて生徒らと笑ひたりしか黒板の前」「初出勤の朝戴きしチョーク箱いづれはわれの柩に入れよ」昭和3年東京生まれの橋本先生の初出勤の朝とは、遙かな時を経て第八歌集「悲母像」に収載。平成21年、第24回詩歌文学館賞受賞のご本である。

  そして今年2月、先生の編集になる歌誌「まひる野」に「車寅次郎すなはち田所康雄さん昭和三年生れ辰年」のお作を拝見。折しも文藝春秋2月号では「同級生特集」を掲載。先生と同年の年男年女には渥美清を筆頭に、手塚治虫、渋澤龍彦、土井たか子、兼高かおるさんのお名前も見える。昭和のあけぼの期に生まれ、満州事変、太平洋戦争へと続く暗雲の時代、結核の蔓延、思想弾圧もあった。著名有名無名にかかわらず「戦友」感覚が芯にある。

  「ちかちかと燠(おき)またたくに炭足して息吹きかけし昭和の子われは」「何のための戦争だつたか  戦争をせぬ国になつた そのためだつた」熱い思いと若い命を絶たれた苛酷な青春をすごされた世代の声が切ない。

  ここに戦後65年、関東大震災から88年、阪神淡路大震災から16年、海が裂けた。先ほど届いた角川の「短歌」4月号に、橋本喜典巻頭作品「再びの悲歌の時代」28首を読んだ。「大海の底ひの裂けて百万の魚の眼は何を見て絶えにけむ」「原発に追はれ追はれて住む土地の〈名産〉と書かれし山芋かなしも」そして「再びの悲歌の時代に生きてわれあかるき歌を詠みたくおもふ」と静かな決意を詠まれる。

  大震一年、「樹木らは季(とき)にしたがひ何事もなきかのごとく一処に立てり」中央誌「歌壇」4月号の巻頭作品。「教へ子」の歌と並んで「四季の花の名札見ながらわが家へは煉瓦模様の道を来たまへ」と明るくよびかけて下さる。「帰り来ぬ人に帰れと呼ぶこゑのかへらぬ海に雪が降りゐる」生あればこそ、一別以来茫々のときを隔てても再会の夢が叶うと信じている。
(八幡平市、歌人)



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