盛岡タイムス Web News 2012年 3月 30日 (金)

       

■ 〈野村胡堂の青春育んだ書簡群〉学友たちの手紙70 八重嶋勲 

 ■猪川浩(3分割の1)

  100 巻紙 明治35年10月28日付

宛 東京市本郷区本郷六丁目廿八番地 月村方 野村長一様
発 盛岡市四ッ家町六九 猪川浩
 
    アタマ重シ ヨミナホシセズ
     イヽクライに読ミテ クレタマヘ

         ○

嗚呼寂たる世満目荒涼啻天高く見ゆへきものは突兀として聳立せる吾が岩峯のみ雪未だ頂かず青雲旗巻きて千古不変の態を現示せり、兄よ天は偽らざる也、天は助るものを助くる也、先生は月の廿日頃復職の栄を得て再び教鞭をとる身となりぬ、こは豈に一ケ予が上の幸福のみならんや、吾が一家は愚也、少なくとも吾が校中の生徒が渇仰を醫するに足るものなりき、亦先生も衆に謝すべきもの多々これある也、飜って思ふに今師弟の間壓力漸く驚く可きものあるに到りて、正さる推選されて復職する眞個栄誉すべきものあり、杜陵の地寂寥を感ずる切りなるに及ひでこの挙を思はゞ亦懽喜に堪へざるものあり、既に四先生去って後任者を見ず、會々これありとなすも其はいと拙き技倆を保てり、又継続者として完全なるを得んや、生徒が□は益々募るにみ、校気益々撹乱するのみ、却って何等の功を奏せざる也、嗚呼杞憂の至りなれ、兄よ不幸なる吾れ等かくの如し、勉めんとする勇気なく精意なし、兄よ不幸なる吾等は業を卒へてその弱き力を喞たん日の如何に髣髴せらるゝよ、嗚呼如何にせん、兄よこを訴ふるもの誰あるを知らず、

         ○

兄よ予を愚として嗤ふ勿れ、予は今より眞面目に兄と語らんとす、空想を言はず、只来るべき事實につきて言はんとするもの也、吾等は今斯の如く懐疑の念を抱けり、曰く「吾れ好んで文事に勉め敢て道徳を口にし人道を唱へ哲学の書を繙き美術に心をよせぬ、これ何等為なりや、文学と云ひ道徳と云ひ皆社會の為めなりと思惟せりき、社會の平和社會の平均社會主義といふ国家主義とハ云ふ、個人の權利絶對自由といふ、嗚呼兄よ何を意味するか、社會を完全にし再び黄金時代に帰り個人その途に安じ鼓腹撃壊の楽悦、嗚呼これ何を意味するか、万有向上精神は常に自然淘汰に依りて万物漸々に完全に成り行き、凡ての物が意に満てるとき、そは社會は如何になるや、円満なる社會ハ遂に如何になるや、かくの如く感し去り感来らば、個人の完全何の要かこれあらん、人道の為め何かあらん、吾等が受くべき凡ての教育も智識も幾万巻の書も何の為めに繙かるヽや、これとりとめもなき疑問なり、加ふるに天災立ち所に到り、運命の絆おしげなく人の命を奮ひ去り、冷然として社會はこれに一顧だにせず、世の凡ての聲は讒謗の聲のみ、恐ろしき悪鬼の声のみ罵倒の声也、冷笑也、而して進化論者は自然淘汰と言ひ国家も少なるは自滅するか或は他の領土属国となりてこれに酷税は加せられ残忍なる所(処)刑は行はれん、嗚呼四千万の同胞も正さに自然陶冶の淘汰に依って自滅する時なるにあらずや、豈にこは学説とのみなすを得んや、現にこは実現せられつヽあるにあらずや、強国と誇り大国と自ら称するもの張然としてその翼を伸ばし、その不慮を常に待ち構へつヽあるなり、而して大帝国は成立する也、帝国主義嗚呼寒心すべき帝国主義は理論上は勿論、現然として実現せられつヽあるは何ぞや、然らば吾れ等ハ安住の地なし、安心を得べきの道なきにあらずや、朝に聞く道も何為めぞ、必竟前途茫漠として知る可からざるに何の為めぞ、霊魂必滅は信じ得らるヽとするも直接肉体に何等の関連する所なき未来の安楽の如きは吾等の満足し能ハざる所也、さらば自己一ケの快楽を得る汲々たるも何ぞこれを咎めんや、短き命也、邯鄲の世何の用かありて孜々として名利の巷に奔走せんとハする、兄よさらばこの悶えを如何にすべき、(この項つづく)

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