盛岡タイムス Web News 2012年 3月 30日 (金)

       

■ 〈大震災私記〉147 田村剛一 「合同葬儀」 

 私の家は、龍昌寺(りゅうしょうじ)のすぐ前にある。子どもの頃は葬式行列をよく見た。葬式行列を見て育ったといってよいかもしれない。

  最近は、葬式行列も、寺の境内で組むようになり、家の中から葬式を見ることもなくなった。それでも、車で来る人は、私の家の前で降りる。中には、「車を置かしてほしい」といってくる知人もいる。3年ほど前から葬式看板が境内に立つようになり、すぐ分かる。

  今回の津波で、大勢の人が亡くなった。普通なら、葬式が毎日あってもおかしくないのに、その葬式が全くない。

  遺骨を持って境内に入って行く人の姿は、毎日のように見かけた。知人に声をかけると「骨(こつ)を預かってもらうことにした」そんな言葉が返ってくる。
「お葬式はしないのか」と聞くと一人一人の葬儀はしないで合同葬儀にするそうだ。

  寺としても、犠牲者が多くて、一人一人の葬式は挙げられなかったのだろう。「合同葬儀は四十九日にするそうだ」という。

  人の出入りが収まったのを見計らって、寺の本堂に入った。この寺は、子どもの頃から遊び場だったので、他人の家のような気がしない。どこに何があるか、全てわかる。

  本堂に入ると、祭壇の前に、白衣に包まれ所狭しと置かれているお骨がすぐ目に入った。こんなにお骨が並んだ異様な光景は見たことがない。それを見たとたんに、自然と手が合わさった。この中には、多くの知人のお骨が収められていたからだ。

  この人たちの合同葬儀が行われたのは4月28日。黒い喪服姿の人たちが、私の家の前を通り寺の境内に入って行く。その中に、私のいとこや同級生、知人の姿もあった。本来なら、その人たちの葬式があれば参列しなければならない間柄。それで、私も、合同葬儀に参列することにした。

  境内に入ると、喪服姿の人でいっぱい。本堂に入れない人が、境内で参列しなければならなかった。何せ162人の合同葬儀であったからだ。それでも、この数は、龍昌寺の壇家で、この日までに身元が確認され、火葬の終えた人だけであった。

  「おやじが…」「家内が…」「息子が…」参列者はほとんどが身内でないのは、寺の近くに住む私たち数人。でも、その人たちに、遺族と全く関わりのない人はいなかった。

  私を例にとってみても、親や子どもといった肉親は失っていなかったが、祖母やいとこの妻、いとこの息子は犠牲になっていたからだ。

  住職の読経を聞きながら、いつもの葬式とは違うように思えた。おえつやすすり泣く声は、ほとんど聞こえなかったからだ。

  悲しみを通り越し、泣くどころではなかったのか。それとも、流す涙も涸れ果ててしまったのか。聞こえてくるのは読経の声だけであった。
(山田町)

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