盛岡タイムス Web News 2012年4月 11日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉276 伊藤幸子 かちざむらい

 をやまんとすれども雨の足しげくまたもふみこむ恋のぬかるみ
                              大田南畝
 
  狂歌の天才、大田南畝(なんぽ)、本名大田直次郎は徳川家直参の御家人である。禄高は七十俵五人扶持、微禄ながら両親は南畝を高名な師匠につけ、漢書や和歌を学ばせてくれた。

  そして17歳で父と同じ徒士(かちざむらい)になったが父は3年後53歳で隠居して余生をすごした。そのころすでに南畝の「寝惚(ねぼけ)先生文集」という詩文集が出され評判になる。江戸の文化文芸、風俗習慣、時事諸般にわたる超文化人である。

  その南畝先生が恋をした。「あとより恋の責めくれば」竹田真砂子さんの新刊書が実におもしろい。事の起こりは南畝がふと口ずさんだ俗謡の一節「女郎のまことと玉子の四角あれば三十日(みそか)に月が出る」で、世の中にあり得ないものを三つ揃えた男好みのはやり歌である。この日歓談のメンバーは長老の平秩(へづつ)東作、37歳の南畝、そして25歳の山東京伝の3人で、とりあえず南畝宅で一杯ということになった。

  なにしろ京伝に縁談がもちこまれたのだ。祝わず飲まずにいられようか。ここからは「妻をめとらば」談になり粋や堅気や廓(くるわ)情緒に惹き込まれるがあまり入れこむと父の「たわれ歌はやめよ。本業大事に昨日と同じ今日を続けよ」との声が聞こえ「ごもっともに存じまする」と言い続ける南畝だった。

  さて南畝の本業「かちざむらい」の役目を本書を読んで知った。徳川家が江戸に幕府を開いて三代将軍の頃までは警護の職も物々しく、一朝事あるときは御前に人垣を作って非常体制をとる役目が課せられていた。そのために全員無紋の黒羽織を支給され、変事には将軍にも同じ羽織を着せかけて徒士の群にまぎれこませ、その存在を消す手順ができていた。しかし泰平が続き、徳川将軍も十代を数える昨今、かちざむらい本来の出番がなくなった。

  この警護について、先ごろ某新聞で要人を守るSPの記事を読んだ。「SPはセキュリティーポリスの略で、要人を守るのが仕事。警視庁警護課所属、警護中は原則スーツ着用。拳銃や無線を素早く取り出せるよう上着のボタンは外している」とあり「SPが前面に立つ見せる警護で安全を計る」とのこと。現代版無紋の黒羽織かと印象深かった。

  父子二代無事こそ大事の南畝に昨日と違う日が訪れた。「淀みきった沼の底を流れて行く極彩色の泥絵の具がそこだけ避けていくような、そこだけ小さな風が吹きぬけていくような」女人、三保崎との恋はここから始まる−。
(八幡平市、歌人)


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