盛岡タイムス Web News 2012年4月 13日 (金)

       

■ 〈野村胡堂の青春育んだ書簡群 学友たちの手紙〉72 八重島勲

■猪川浩

100巻紙 明治三十五年十月二十八日付

              ○

石川君が事情の多ありてやむなきに出し策なりとか聞き傳ふる所也、とまれ来月早々上京する、なるべく今予も誰れも彼の不意なるに驚き呆然として問ふものすらあらず、もしこれあるにもせよ或る事情の為め家事上の都合のみと答ふる由、誰れも詳しきは知らねど誠に危難なる仕業也、彼れは彼の才に追はるヽの人間也、彼れは不幸にして新聞雑誌を以って養はれたる時世の文学者也、確き信念と問はゞ皆無也、否夢想だにせざる所却って名利の巷にかられ、新詩社の和歌に満足に湛ふる人なるに於ておや、されど家計の都合と言はゞ不幸也、吾が寔既にかくの如し、思ふに杏子君は八円の月俸に安んぜざる可からず、五山子は日毎の衣食の為め学業に為めに追はるヽ所と也、完全に思索を曲らすの日少なきを悲しむ、然して予に又これあり、石川氏の事あり、嗚呼予は家計上と聞きさへ悲腸千切らるヽの思あり、月の廿三日は高橋にて抱琴、石川氏を招じて撮影せり、これ杜陵吟社が子を送別するにてありき、

盛岡の地抱琴去って頓に淋し、されど幸なるは碁を打たねバならぬ義理なくなりし事なり、却って宮川氏へ抱琴この頃キ(箕)人君が碁を打たなくなった不思議だと言へりと、予はこを聞きし時まことに気の毒に也、必ず往けば一回、二回をやる事常の如くなりき、かヽる勝敗事あまり好ましからず、その時間を以って精神の修養の一助ともせバ如何に有功(効)なるものあらん、

              ○

夜も大分更け渡りぬ、頭は疑りて重く机に向ふに堪へずこヽに擱筆せん、
必ず紀念は何か書かうと心得てましたから近い中にさし上げます、時日がないもんだから餘り甘い事は行きますまい、それに校友会雑誌に追はれて居る所で、ことに石川君が去れば僕の雑誌で骨折り一方ならぬ、それに此頃はめっきり投書は出来ず、會ニありても採用されそうな奴ハ一向見あたらぬ、これにハほとんと閉口してると云って成丈けハ先生の原稿丈は御免被り度い方である、何か通信でも被下るまいか、露子君へも言ってくれ玉へ、青山学院あたりから通信を得などは実にめつらしいもんだ、どうか願ひます、

後藤もこの頃の中にハ上京する相な病気もなんだか面白くない様で風で一度っ切り出盛した丈け、再びしない、

それから先日御尊父より着類一切を集めてくれいって依頼されたが善いか(が)、今度しまつに困った杏子からは此頃の中に外套を取りよせようか、他のものには閉口せざるを得ない、僕は大変ないばった手紙を書て上げた筈だが職業も今猶ほざ(さ)かしてるが見当らんで、あの七十五銭も失敬してゐる、どうも失敬がちで穴あらばと思って居る、君は若し都合が出来たら僕へ送金してくれると思って一円也、二円也を送ってくれまいか、何れ僕も奮発してこの頃の中に配達になるつもりだが、未だ其處の店は開店せんのぢゃ、そうすればどうにか道がつくといふもんだか、ほんど(と)うに哀訴するより今度はどうも仕方がない、あんまり失敬な言ひ分だが、ゆるしてくれ玉へ、
〆○が来て暫々句を戦はした、僕に河豚の句あり

   鯣料る人の齢や堂に在り
   鯣汁を先生の子に侑めけり
   藁火たく青き焔やふくと汁
   ふく鍋をのぞけば脂凝る也
   ふぐののり手に持つ刃寒きまで
その澤山あれと忘れたり、
三柊君時々俳席に出席さる愉快なり、時に雲軒君も、
而して予は常に感情の人間たるを悲しむ、兄よこを如何にすべき、

    十月廿八日夜深更

    野村兄                                  キ(箕)人生

        机下

【解説】猪川箕人、盛岡中学五年生。偉人・賢人とは何かについて深く追究し長く論じている。この中で大切なのは、箕人の同級生石川一が家計上の都合で退学願を提出したということである。実際の原因は、カンニング事件であるらしい。突然の事で同級生がショックを受け、驚いている様子がわかる。そして石川一は、十月二十七日退学が承認され、文学をもって身を立てるべく十月三十一日上京。野村長一と会うことになる。新詩社の与謝野鉄幹・晶子を訪問するのである。

  また、箕人が長一から、七十五銭の借りがある上で、苦しいので一、二円なりを送ってくれと頼んでいる。長一が、四月十七日に上京の際、盛岡の下宿に残していった衣類について「先日御尊父より着類一切を集めてくれいって依頼されたが善いが、今度しまつに困った杏子からは此頃の中に外套を取りよせようか、他のものには閉口せざるを得ない」と、衣類が誰かに持っていかれたらしく困っている。


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