盛岡タイムス Web News 2012年4月 15日 (日)

       

■ 〈もりおかの残像〉44 澤田昭博 高松の池(上)上田堤

     
  高松の池(大正10年ころ、一條八平太氏提供)  
 
高松の池(大正10年ころ、一條八平太氏提供)
 
  いよいよ桜の季節がやってきました。気象庁の開花予想では、盛岡の桜前線は4月26日だそうです。盛岡城跡公園や高松の池は、花見客でごった返すことでしょう。今日の残像は、桜並木の「高松の池」です。まだ池の周囲に家は一軒もありません。これまで取り上げてきた写真のほとんどは、大正7年発行の写真集「盛岡名勝」でした。意外なことに、この本の名所旧跡に「高松の池」はまだ入っていません。今回は、そんな今からちょうど一世紀前の時代へ遡っていきます。

  まずは、アメリカ合衆国の首都ワシントンDCを流れるポトマック河畔の桜並木が、日米の友情を深めた「桜物語」としてあまりにも有名な話です。日本と同様、毎年3月末から4月の初めにかけて、「桜まつり」が開催されます。今から百年前の1912年3月27日、日本から贈られた桜の苗木をポトマック公園で植樹されていました。日本から桜を贈ることは、日露戦争終結のためポーツマス条約の仲介をしてくれた米国への謝意を表し、日本とアメリカの友情に願ってもないチャンスだと考えたからです。

  桜の寄贈を託された尾崎東京市長は、さっそく桜の苗木2000本を送りましたが、これはすべて焼却処分されていました。悪意ではありません。1909年横浜港から西海岸のシアトルへ、陸路特別仕立ての冷蔵貨車で大陸を横断しワシントンに到着した時には、おびただしい数の病害虫が発生したため、焼却を余儀なくされたからです。3年後、再度害虫に強い桜の苗木6040本を調達し、無事アメリカに届けました。一本も病気がない苗木に、検査官も感嘆の声をあげたといいます。今年アメリカの「桜まつり」は、百周年記念に当たり、特別の意味を持っています。

  実は、高松の池の桜もこれと時を同じくして植樹されていました。明治期でも上田の堤は、せいぜい人の通れるくらいの細い道しかなく、春先にこの辺の人たちが池のほとりで弁当をひろげ「花見」ではなく「山見」をやっていたといいます。ところが、日露戦争での勝利を記念して、地元の有志が「栽桜会」を結成し、寄付金を集めて吉野桜の苗木1000本を上田堤の周囲に植樹しています。「戦勝記念栽桜会」の趣意書には、「建国未曾有の大戦に勲功ありし皇軍勇士の“やまと心”をとこしえに伝え、また一面盛岡に一大公園を創設し…」とか「いまこの勝地に、制露戦勝記念の桜樹を栽植し、一はもって市の観光に供え、文人墨客・紳士淑女の遊楽地となし、一はもって後世子々孫々に至るまで、明治聖代の余沢に浴せしめ、敷島の大和魂を鼓舞し、戦勝の鋭気を永遠に持続し、…」などとありました。

  この写真は、「黄金競馬場」関連で取材してきた一條牧夫さんの古いアルバムの中にあったものです。一條牧夫も、ここに真っ赤な花をつける「ボケ」の木を植え、今も存在すると一條八平太さん(79)は言います。写真の年代はわかりません。しかし、植樹後の桜は明治43年以降開花し、大正10年ごろには成木となり、徐々に桜の名所として知れ渡ったといわれますから、満開状態から察して大正10年以降と考えられます。ランドマークとなる建物がありませんから、撮影場所を特定することが難しいのですが、一條八平太さんは高松の池の西側からだといいます。背景の山が神庭山です。地元の人はこの山のことを赤土山(あかづつやま)と呼んでいましたが、日露戦争の烈士横川省三の銅像が建ってから「神庭山」という名がつけられたともいいます。

  手前の土手に、着物姿の子どもらしき人物が2人います。そして、左側の黒い棒は、池の水の水門だと考えられます。現在「日本さくらの名所百選」の立て札が立っている辺りです。どんな豪雨の時でも高松の池の水が溢れることはまずありません。ここから、西側にある駐車場の真ん中を通り、国道四号線のバイパス・高松病院のところから北上川に地下水路で繋がっているからだといいます。さらに、地下のヒューム管で岩手大学農学部の池の水にもつなげてあるといいます。

  藩政時代に三戸から南部さんとこの地にやってきて、先祖代々上田堤の「堤守」をやってきたという袴田茂さん(82)に話を伺いました。「父の袴田作右衛門さんの生まれた年が、明治39年の桜を植えた年だからはっきり覚えている。堤防の維持管理という『堤守』の仕事は、父の代までやっていた。父は市会議員を4期やり、池の南西部に水田もあったが、国の補助で高松の池駐車場を建設することになり、水田を手放すことになった」という。地図@では「高松の池」になっていますが、正式改名は大正10年になります。昭和3年4月までは、岩手郡米内村だったこともわかります。五秀園のことは、次回にしますので記憶しておいてください。これが大正14年の鳥瞰図Aになると、途端に高松の池の周囲は満開の桜で覆われております。当時走ったという「観桜自動車」は描かれていませんが、空には2機の飛行機・池にはボートが浮かび、うきうきした遊覧の情景が読み取れます。

  平成19年5月12日には、「高松の池さくらを植えて100年」の記念事業を開催しています。記念式典には盛岡市長をはじめ関係団体・地元町内会の方々100名以上が参加し祝っています。また、記念植樹には、上田小中、高松・緑が丘小、黒石野中の生徒ら80人が、高松の池と旧競馬場の間に桜の苗木50本を植え、未来につなげています。

  このように日露戦勝記念で植えられた桜は、市民によって百年の歳月を経た今日まで守り育てられてきました。この100年を契機に、先人が築いてきた思いを忘れることなく、これからも「盛岡の自然・文化遺産」として継承されてゆくことでしょう。 

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