盛岡タイムス Web News 2012年4月 15日 (日)

       

■ 〈大震災私記〉156 鉄道の行方@ 田村剛一

 山田は今回の津波で、交通へき地化がさらに進行した。それまでは、交通へき地といっても盛岡まで直通列車1本、直通バスが3本あった。震災により、JRは宮古|釜石間が不通になり、直通列車は消えた。直通バスもなくなり、宮古で乗り継がないと、盛岡に出られなくなった。今や、公共交通機関を利用すると、県都まで3時間もかかる交通へき地になってしまったのだ。

  この交通へき地から脱却するためには、どうしてもJR線の復旧が急務である。果たして、JRが復旧するのか、私には不安に見える。何せ、私は自動車を運転しないので、どこに行くにも、JRは私の足になるからだ。

  そのJR山田線がどうなるのか。山田町役場に行って、このことについて質問すると「山田線は絶対復旧するから心配しないで。そんなことを田村さんがいうと、町民は不安になる」とたしなめられた。

  実は、私は別な情報をJR関係者から聞いていた。「JR山田線の復旧は難しい」と。すでにJRは、大槌や山田在住のJR職員を全員異動したというのだ。これこそが山田線廃止の布石と、知り合いのJR職員はいう。

  その心配事が徐々に起きつつあった。私たちの住む山田地区から長崎地区へ行こうとすると、必ずJRの線路を越えなければならない。この町の中を走るJR山田線では、陸中山田線は流失は免れたものの、火災で焼失。陸中山田駅の本丸が焼け落ちた。山田線の将来を象徴する光景のように思えた。

  たまたま長崎地区に行くため旧県立山田病院前を通り、踏切を渡るつもりでいたら、線路上に近道ができていた。いつも、そこには「危険!!立ち入りを禁ずる」という立て看板が立っていたが、それが取り払われ、人が自由に行き来してい
た。

  その道を通ろうとすると、線路上で作業している線路工夫(?)の姿が目に入った。線路も塩水をかぶりさびついてきた。そのさび防止の作業をしているのだと思いながら、そのまま素通りした。

  それから2日後、同じ道を歩いて驚いた。線路がなくなっているではないか。さび防止の作業をしているのだと思っていた線路工夫は実は線路を撤去する人々の姿であったのだ。

  でも、撤去は駅から北側の一部分かもしれない。そう思って、駅舎のある場所まで足を伸ばした。そこから南の方を眺めたのだが、やはり、線路は跡形もなく消えていた。

  線路が消えた。

  はたして、町の幹部が自信たっぷりにいう「JR山田線の復旧復興」は本当に可能なのだろうか。鉄路の消えたJR山田線の線路を眺め、不安が増すばかりだった。

  「鉄道はこのまま消えていくのではないか」
(山田町在住) 

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