盛岡タイムス Web News 2012年4月 18日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉277 伊藤幸子 古書のなりわい

 ゆく春の書に対すれば古人あり
                     高浜虚子

 平成22年4月9日、作家で文化功労者の井上ひさしさんが亡くなられた。その年に刊行された「井上ひさし全選評」を、三回忌の今年も読み返している。昭和49年から平成21年までの各新聞出版界等の賞や公募の著書担当の評文で厚さ6aをこえる大冊である。

  今回は平成5年の第108回直木賞、出久根達郎さんの「佃島ふたり書房」を、当時の感動を思い出しながら読みふけった。まず、平成5年「オール讀物」3月号に受賞作初掲載。前年にハードカバーで初版出版。どちらもすっかり古びているが私の大切な宝物、今まで何十回と手にとっている。

  「積もるほどではないが、やみそうにない。チリンチリンと鐘が鳴って、出船である。乗客は梶田郡司のほかに、初老の男がひとりだけ」この書き出しがたちまち話題になった。東京佃(つくだ)の渡しが消える昭和39年の世相を背景に、生年月日が全く同じ郡司、六司という二人の男性の古書店員の話。

  この時の直木賞選考委員は田辺聖子、黒岩重吾、山口瞳、陳舜臣、渡辺淳一、平岩弓枝、井上ひさし、藤沢周平、五木寛之の九氏である。満場一致、受賞記念対談で山本夏彦さんが「選考会では一議に及ばなかったんですってね、おめでとう」と絶賛された。

  井上評は「いかにも玄人の、プロならではのとの言い方も出来るが、作者の駆使する言葉そのものがおもしろさと美しさを備えており、父親探しという主筋のめぐらし方も巧み」とし、黒岩さんは「人間管野スガの描写や関東大震災が圧巻で最後まで読者を飽かせない腕力は貴重」と評される。

  出久根さんは昭和19年茨城生まれ、中学卒業後集団就職で上京、月島の古書店員を経て昭和48年自らの古書店「芳雅堂」を開業。平成4年刊「漱石を売る」には高円寺の同店の室内風景と住所印がカバーデザインになっている。

  十数年前、久慈アンバーホールで井上、出久根両氏の講演会があった。井上さんは何度も聴いたが出久根さんは初めて。生いたちから古書のなりわいを語られて後半、昭和の店頭宣伝の流れから、やおら「オイッチニの薬売り」の歌を歌われたのだった。涙を見せられて、私は帰宅するなり直木賞作品を読み返した。そして今日も、梶田が女あるじ千加をおぶってこの歌を歌う箇所に泣いた。まさに「読書は御代(ごよ)の御宝(おんたから)」と出久根さんの一書に教わった。
(八幡平市、歌人)



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