盛岡タイムス Web News 2012年4月 19日 (木)

       

■ 〈農地を恵む龍動の季節〉5 江戸時代の消防ポンプ龍吐水

     
  矢巾町の立花友一さんが所蔵する大型の龍吐水  
 
矢巾町の立花友一さんが所蔵する大型の龍吐水
 
  江戸の町火消しが登場したのは18世紀の前半、消火道具も水鉄砲式のポンプが使われるようになり、同じ18世紀中ごろに龍吐水(りゅうどすい)という大型のポンプが登場したと言われている。消防機器を収集している矢巾町煙山地区の立花友一さん(78)が数年前に入手した龍吐水は非常に状態が良く、年に何回か地域の子どもたちに体験させているという。

  藩政時代に盛岡藩で龍吐水が使われていたかは分からないが、東京消防庁のホームページには、寛延4(1751)年に江戸の町年寄が名主の代表を集めて、町火消し龍吐水を備えるように勧めている。明和元(1764)年に町火消13組に一基ずつ支給されたことを紹介している。

  立花さんの龍吐水は明治11(1878)年に京都三条宝町の賓村武虎という人物が製作したことが焼印から分かる。6年後に国産の腕用ポンプが量産されたことに伴い廃止されたという。材料には燃えにくいケヤキが使用されている。

  頑丈に作られた腰駕籠(かご)のような外観。よく見ると駕籠に見えるのは大量の水が入る水槽。これに木製のパイプをつなげて放水する。

  現代の消防ポンプは放水を含めて数人で操作しているが、龍吐水の操作には数人ずつが左右に分かれて交互に押して圧縮、手桶に水をくんで水槽に入れる人が数人、放水口を持つ人も必要で大人数を必要とした。

  立花さんが実験したところ2階の建物の屋根まで優に届くほどの水圧で、龍が水を吐き出しているように見えるという。「勢いはかなりある。昔は2階建ての家はほとんどなかった。だから離れた場所から放水でき、その姿が龍のように見えるんだ」と話している。

  これは現代でいうと消防ポンプ車に相当するが、1人で操作できる消火器的な木製ポンプも同じ龍吐水と呼ばれている。

  盛岡城下でも龍吐水が使われていた。天明8(1788)年4月の「御家被仰出」という文書には半龍道水を盛岡城下の町々に設置したという記事があり、盛岡八幡宮の消防の沿革には長町(現長田町)に龍吐水組があったことなどが紹介されている。
(荒川聡)



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