盛岡タイムス Web News 2012年4月 20日 (金)

       

■ 〈野村胡堂の青春育んだ書簡群 学友たちの手紙〉73 八重嶋勲

 ■101巻紙 明治三十五年十一月三日付

宛 東京市本郷区本郷六丁目廿八番地 月村方 野村長一様
発 東京市小石川区小日向台町三丁目九十三、大館光方 石川一(啄木)

拝啓(今日は途中にて露子兄に逢ひ申候)今まで御無沙汰致誠に御申訳なく候。小生儀一昨日当地。裏書の所に居り候。

本日御訪問申候へ共折悪しく御留守故残念ながらたヾかへり候。小生も復参るべく候へども兄御閑の節御来遊被下度候、安村兄も一所に、候や?

   三日夜

小石川区小日向台町三丁目九十三、大館光方 石川一拝

  野村長一様

  【解説】猪狩箕人の先の手紙にあるように、石川一は、盛岡中学五年の途中の十月二十七日、カンニング事件が原因で退学し、十月三十一日の汽車に乗り、翌十一月一日に東京に着いたようである。十一月三日に長一の下宿を訪ねたが不在で残念ということで、「兄御閑の節御来遊被下度候、安村兄も一所に」という文面である。
 
  啄木日記 明治三十五年から
十一月三日(前略)鉄幹氏へ上京報告す。午後、本郷にて露子岩動君に逢ふ。野村菫舟君を(本郷六丁目二十八月村方)訪ふて逢はず。一人忍ばずの池の畔より上野公園に上り日本美術展覧会見る。(中略)夜。抱琴原兄、及び金子定一君野村君等へ端書して上京を報じ山崎へも送る。出京以来漸く少しく心落ち付きたれば杜陵なるせつ子の君へ手紙かきぬ。迸しる涙のわりなき秋や、嘗而賜ひし歌の手巾にて溢るヽを抑へつヽ記しぬ。あはれ恋し君わがこの文を読まば君に温かき涙にくれ玉ふらむ。二時就寝。涙!!!

十一月四日空心地よく晴れ渡りたり。午前小野小沢伊東四兄へ長き手紙認めたり。咏歌。鉄幹氏より来翰。晶子女子御子あげ玉ひし也。午後。牛込女子大学あたりまで散歩す。午後四時頃より野村菫舟君来り夕飯を共にし九時かへる。友は云ふ。君は才に走りて真率の風を欠くと。又曰く着実の修業を要すと。何はともあれ、吾その友情に感謝す。(以下略)

十一月五日朝遅く起き急ぎ飯を了へて本郷の自炊に菫舟君を訪ふ。安村兄工藤兄も在り。

  菫舟君と共に神田辺を徒歩し諸所の中学に問ひあはせたれど何れも五年に欠員なくて入り難し。故に初めの志望通り斎藤秀三郎氏の正則英語学校の高等受験科に入ることに思ひ定め規則書在学証明書等貰い来る。古本屋多き猿楽丁を通りて又自炊にかへい昼食。閑話して五時かへる。(以下略)
十一月二十四日(前略)野村兄の端書来る。「以下略」

十一月二十五日午前安村省三兄、野村兄来訪せらる。猪川兄等のことに就いて野村兄より詰らなき「大事」をきヽたり、二時かへる。(以下略)

  【解説】十一月五日、神田近辺の中学校五年生の欠員がないか、長一が啄木をつれて探し歩いたがついに該当がなかったことを随筆に書いている。

  なお、この石川啄木の手紙をはじめ啄木の手紙全てを、野村胡堂が日本近代文学館に寄贈しており、野村胡堂・あらえびす記念館には残念ながら一通も残っていない。

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