盛岡タイムス Web News 2012年4月 24日 (火)

       

■ 〈幸遊記〉68 照井顕 荒谷光彦のファイブ・ペニーズ

 前回、日本ジャズ専門店を35年間続けてきたということを書いた。その記念日とも言うべき僕の65歳の誕生日の朝、正確には昼、携帯電話が鳴った。声の主は久しぶりの沼田智香子女史。彼女は1990年頃から約20年、FM岩手のジャズ番組アシスタントを務めてくれたフリー・アナウンサー。

  でもその電話はもちろん、誕生祝いなどではなく、雑誌への取材申し込みだった。盛岡商工会議所が出している「さんさ」という冊子らしい。僕は一度もお目にかかったことはないが、それへのインタビューだと。ありがとう。「昔のよしみでの取材ではない、指名で頼まれた仕事なの!」と気を使ってくれている様子がうかがえた。

  余計な個人情報かも知れないが、沼田女史は、僕の古い友人で読売岩手広告社の現社長・甘竹明久さんの奥様。その甘竹さんは何を隠そう、2001年4月、陸前高田から盛岡へ僕を連れて来た男。不思議なもので、その話の出どころはボーイ・プランニング・カンパニー社長の荒谷光彦さん。彼もまた、4月20日を僕の誕生日とも知らず、何年ぶりかで店にやって来て、僕は、バーボン「ジョニードラム」をごちそうになり、それこそドラマー・澤口良司さんからの誕生祝いのワインでも乾杯!した。

  荒谷さんは美容室を何店舗も経営している人。20年前、現ジョニーの近くにある彼の自社ビル地下の美容室「ビル・エバンス」の音楽部門を独立させて8年間続けた「ファイブ・ペニーズ」の跡を継ぐ形でジョニーが盛岡へ移転して来たのでした。その20年前の店のオープン記念コンサートは、岩手教育会館で「穐吉敏子・ジャズオーケストラ」。

  この4月、ニューヨークでその穐吉敏子・ジャズオーケストラを久しぶりに聴いてきたばかりの僕。その穐吉さんが昔、雑誌のインタビューに答えて「ジャズって何?と聞かれると『サッチモ』のことを思い出すの」と言っていたことを思い出し、また映画「ファイブ・ペニーズ」(5つの銅貨)に出ていたサッチモのことも思い出し、かつてサッチモことルイ・アームストロングが住んでいた家をブルックリンに訪ね、4月20日より「日本(和)ジャズ専門」から「世界のジャズ」へと「開運橋のジョニー」を原点帰りさせると決心して帰ってきました!もちろん!スタートは「ルイ・アームストロング」から。
  (開運橋のジョニー店主)



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