盛岡タイムス Web News 2012年4月 30日 (月)

       

■ 〈幸遊記〉69 照井顕 今野憲一のハルウララ

 めぐり来る毎春、聴き返すたびに、魂がゆさぶられ、闘志をかきたてられる歌がある。連戦連敗、未勝利のヒロイン、かすかな希望のノンストップ・スターだった高知の人気競走馬「ハルウララ」のことを歌ったロックの、シンガー・ソングライター・今野憲一さんが自作自唱し、NHKにんげんドキュメント「日々これ連敗・競走馬ハルウララ」で使われた「RISING・SUN」(ハルウララの応援歌)である。「ひたすら走ることだけが君を支配し、勝利という二文字は果てのないシンボル・・・・・責めたてられる毎日に、君は絶望を知らない」

  彼、今野憲一は1958年11月生まれ。高校時代からバンド活動。大学時代には東京のライブハウスで弾き語り、彼の故郷、岩手県大船渡市で87年に録音した「お前に抱かれて死にたい」のファーストアルバムを88年1月に発表。その年「K2プロジェクト」というバンドを結成し、93年にCD「K2プロジェクト」を発表するなど活動を続け、同年、東京日野市に「SOUL・K」というライブハウスをオープン。自らは「壁の穴強盗団」というバンドを結成。10年後の2004年に先の「ライジング・サン」を発表し注目を浴びたばかりの翌05年8月、46才の若さで脳溢血で急逝した。

  思い起こせばレコードデビューした時、僕の店で歌い、僕のFM番組に出てくれたことがある。「想いがあるから曲が生まれる」というようなことを言っていた記憶が戻る。確かに、初LPレコードの中で歌われていた、「多喜二」という彼の曲の時もそうだった。
その小林多喜二は、秋田に生まれ、小樽に育ち、文学史に残る名作「蟹工船」や「不在地主」などを発表し、職場を追われた。上京後には、不敬罪にあたる記述があると投獄され、出獄後も左翼作品を発表し続けたため、特高警察に逮捕され拷問に遭い、1933年、30年の短い生涯を閉じた悲劇の革命作家。小樽には彼の文学碑がある。

  2006年夏、彼、今野憲一もまた、生前の音源を集めた二枚組みCD「ソング・イン・マイ・ハート」が彼の姉・片平美津子さんの手によってつくられ、魂のSOUL・Kとなって、再び北へ戻って来たのでした。
(開運橋のジョニー店主)

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