盛岡タイムス Web News 2012年 5月 3日 (木)

       

■ 〈大震災私記〉167 田村剛一 支援物資支給停止

 町では5月に入っても、避難所生活を送っている以外の一般町民に対しても、毎日、水や食料の物資支援を行っていた。午後4時ごろになると、保健センターのある町民広場は、役場前まで長蛇の列ができた。

  震災直後は1人1個という厳しいものだったので、私もこの列に数日加わった。そのうちに「あなたも並んでいるのか」といった目にさらされるような思いがしてやめた。

  一般町民はこの物資、特にもパン、おにぎり、カップ麺…そうした食料支援で助かった。米などの支援物資が、友人や知人から送られてきても、電気もガスもない。それに水道も使えないでは、米、みそ汁の煮炊きもできなかったからだ。それに、家は残ったものの、私の家のように半壊家屋では全ての家電製品が、塩水に侵され、全て使用不能になっていたからだ。

  家に戻り、生活ができるようになるためには、炊事用具、台所用品をそなえなければならなかった。山田では売っている所がない。宮古まで行かなければ、手に入らなかった。それに、車がなければ、宮古にも行けない。

  それだけでは、まだ足りない。肝心の電気、ガス、水道が通らないと炊事用具も台所製品も使えない。

  わが家に、電気が通ったのは、4月10日前後。電気が通るころに家に戻った。でも、水道はまだ。トイレは水道が通るまで、おいの家のものを借りた。水道が通るころに、ガス台が入った。電話が通じたのは5月初め。

  5月に入ると、ほとんどの地区のライフラインが整ってきた。これなら、それぞれの家で煮炊きができる。そう判断した町は、5月31日をもって、水、食料などの一般町民向け支給を停止した。いよいよ自立の時がきた。

  一方、被災者には支給が継続されることになったが、その支給は避難所生活をしている人々のみが対象になってしまった。居宅避難者は除外された。不公平の声を何度も聞いたので役場に足を運んだ。

  「親戚を受け入れている人が大変だ。米も支給したら」と言ったが、返ってきた言葉は「避難者かどうか区別がつかない」だった。そんな具合だったので、蓄えがなくなり、避難してきた人に出てもらったという人も出てきた。

  この支給停止は、生活弱者といわれる人たちにとってもつらいものであった。店が近くにない、半壊家屋の人たちには車がなかった。

  「食べ物が欲しい」そうした声を聞いて、わが家の車を使うことにした。息子が、アピオに行って食料品を運んで来て、それを食料の手に入りにくい人たちに配る。私も、何度か配る手伝いをした。

  避難所によっては、近くの人たちに食料を支給した所もあるが、避難所から遠い所にそれがなかった。
(山田町在住)

 

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