盛岡タイムス Web News 2012年 5月 4日 (金)

       

■ 〈野村胡堂の青春育んだ書簡群 学友たちの手紙〉75 八重嶋勲

 ■103はがき 明治三十五年十一月六日付
宛 本郷区本郷六丁目二十八 月村方 野村長一様
発 原 生 (達・抱琴)
明十日午后六時發と変更の事

  【解説】浦田敬三氏編著『明治の俳人原抱琴』の年譜から引用。
明治三十五年、抱琴二十歳。東京第一高等学校休学中。
十月二十二日、(秋皎「獨居日記」)午後四時抱琴子の送別会に赴く。抱琴子「歌神の御留守淋しと帰るなり」の一句を残して帰らる。
十月二十三日、(秋皎「獨居日記」)正午放課、送別の写真を高橋にとる、炎天君に行きて日暮るヽに帰り再たヽび抱琴子を停車場に送る、心腸切々、言を発す能はず、只目を以て送るのみ、目亦留別の涙あり、帰途のせきれう誰も等しく感じたるべし。
十一月六日、(「原敬日記」)達、上京中の處大阪に於て保養することとなし本日大阪宅に赴けり。
十一月十日、(「啄木日記」)原抱琴兄の端書は芝より来る。菫舟兄より原兄大阪へ出発の報知来る。
  という記述があり、抱琴が盛岡を出発する前後の様子が分る。伯父原敬が抱琴を大変可愛がり、親身の世話をしており、この時も肺を病む抱琴を労って、原敬の大阪宅での療養をさせていることが分る。
 
■104巻紙 明治三十五年十から十一月?日付
宛 本郷区本郷六丁目ニ十八、月村方 野村長一様
発 芝より (原 達 (抱琴))
只今ハ一寸外出中に御出下され候、甚失礼いたし候、明朝学校へ参る序でに参上仕るべく候、早々

  【解説】長一が、原抱琴の外出中に、芝の原氏宅を訪問したらしく、そのお詫びのはがき。原達は、この時、東京第一高等学校に通学していたから、長一の下宿先は、学校に近いので、明朝立ち寄るということである。「本郷六丁目ニ十八、月村方」は明治三十五年十月から十二月まで住んでいたので、この間のことであろう。そして、原抱琴は、十月二十三日に、盛岡を発ち翌日東京着であり、「啄木日記」の十一月十日に、「原抱琴兄の端書は芝より来る」「菫舟兄より原兄大阪へ出発の報知来る」とあり、十月二十四日から十一月十日前後の間と推定できる。

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