盛岡タイムス Web News 2012年 5月 5日 (土)

       

■ 〈舗石の足音〉402 藤村孝一 ピアニストと音楽家

 前回、日本人天才ピアニスト牛田智大さん(12歳)が弾いたCD「愛の夢〜牛田智大デビュー」を購入して聴いたことを書いたが、その解説書に意味深長な言葉があることに気付いた。

  牛田さんは8歳から参加した「ショパン国際ピアノコンクールin ASIA」において各部門で5年連続1位を得たが、審査員であるポーランドのピオトル・パレチニ氏にも何度か指導を受けているという。そのパレチニ氏が牛田さんに言ったのが「きみはピアニストになるよりも音楽家になりなさい」という言葉である。

  パレチニ氏は1970年第8回ショパンコンクールで第3位となり、併せてポロネーズ賞を受けた。この時の優勝者はアメリカのギャリク・オールソン氏で併せてマズルカ賞も得ている。特記すべきは、(2010年までで)日本人として最高の第2位となったのが内田光子氏だったことである。(1990年第12回では第1位がなく、横山幸雄氏が第3位になっているが…)また、パレチニ氏は第11回(1985年)から審査員を務めている。

  だから、彼はショパンの人生、ショパンの曲についても非常に、今風に言えば「めちゃめちゃ、めっちゃ、すごい」知っていたのである。

  「ピアニストは音楽を演奏するから音楽家ではないか」とお思いになるかもしれないが、少し意味が違う。

  1831年秋、パリに出てきたショパンは多くの音楽家と親しくなる。メンデルスゾーン、ベルリオーズ、タールベルク、カルクブレンナーその他である。中でもフランツ・リストとは親しかったという。

  パレチニ氏の言うピアニストとは暗にリストを指し、音楽家とはショパンのことを指しているのである。ちょっと聴いて目立つ大きい音で、派手で大袈裟に弾くより、ショパンのように美しいメロディーとハーモニーで音楽的に演奏しなさいと言ったのである。

  1830年代リストは、優れたピアニストであった。顔やスタイルが良い上に、初見力(楽譜を初めて見て立派に弾く力)が優れ、ものすごく速く動く指で鍵盤上を駆け巡り、大音響を出し、聴衆を圧倒し、狂喜させた。これは現在、演奏会等でリストの曲を聴けば分かることであり、非常に派手な音楽である。自分で曲を作る暇がないものだから、過去や当時の作曲家例えば、モーツァルト、ベートーべン、シューベルトなどのメロディーを編曲し、装飾をたくさん付けて華麗に演奏してみせていた。リストが作曲に専念し、音楽的な曲を書くのは40歳近くになってからのことである。ショパンもピアニストとしてのリストを認めていたが、当時のリストの作品は評価しなかったし、好まなかったという。

  一方ショパンは20歳前後で2曲の美しい協奏曲を作り、現在もよく演奏される練習曲集作品10、ノクターン、スケルツォ、前奏曲集なども作曲し、自分のメロディー(音楽)を持っていた。勿論、ショパンのピアノ演奏は繊細で優雅で、洗練されたものであった。

  パレチニ氏が「音楽家になりなさい」と言ったのは当然だろうし、その言葉を自分の演奏に取り入れて音楽的に弾いた牛田智大さんもすばらしい。
 

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