盛岡タイムス Web News 2012年 5月 9日 (水)

       

■ 〈日々つれづれ〉120 三浦勲夫 バイパスと旧道

 私も自動車で遠出をするが、娯楽の事は少なく、英語を教えるという仕事上の事が多い。自分が運転して行くところは、花巻市、北上市、二戸市である。長距離バスで行く所は宮古市である。

 盛岡バスセンターから「特急一関行き」のバスで北上市に通ったのは、1965年と翌年だった。当時の国道4号は、日詰町、花巻市、北上市などの中心部を通った。その後、バイパスが整備され、今では町内に住む人たちを除き、多くの運転者はバイパスを通る。

 私は現在、花巻市生涯学園都市会館に毎月1回行き、大人の人たちに英語を教える。花巻への行き帰りに運転をしながら、かつて20代前半だった自分の生活と将来設計を懐かしく思い出す。旧国道4号には家並みや松並木など昔の街道的なたたずまいがまだ残っていた。北上市では県立黒沢尻北高校のPTA講師として英語を週3日教えた。

 花巻市生涯学園都市会館に行くには、バイパスから右折して花巻市街に入る。旧国道4号は懐かしいが、家並みや商店は一変した。一変することは世の習いだが、年を経た自分は変化の影になお残る過去の残像を懐かしく思い出している。

 北上市に行くには、現在は県道13号を通る。昔は通ったことがない。古い思い出はないが、南昌山や東根山に登った時にここの道を通った。退職前後には花巻温泉のホテルに何度か行った。岩手県高校教育研究会(岩手県の高教組や教育委員会主催など)の英語部会等に招かれた。今は北上市の西郊・和賀町の田園地帯にある農家を改造した喫茶店に、英語を学ぶ同好の人たちが集まる。黒沢尻北高で教えた人たちも来る。

 県北の二戸市に行くときは、盛岡市玉山区の好摩バイパスを通る。バイパスは沼宮内にも、一戸にも、二戸にもあって、町の中心部を迂回する。中心部は古い顔を残しているだろうが、一般の運転者は通らない。玉山は姫神山に近い。私が6歳で戦後の新制小学校に入ったのが玉山小学校だった。父親の仕事の関係で玉山・日戸(ひのと)にいたが、1カ月後には、盛岡市に転居した。戦争直後だったが、子どもには暮らしのつらさが分からなかった。

 ひと昔、ふた昔、半世紀以上前などの町はバイパスの彼方に隔絶された。モータリゼーション(自動車化)が世の中の動きを支配し、牧歌的、あるいはIT(情報技術)革命以前の社会でさえ、はるかに遠ざかった。知らないうちに私のような高齢者までもが新たなルートに乗って走っているのだ。

 宮古にはかつて妹一家が住んでいた。母親とわれわれ長男夫婦が山田線の列車に揺られて訪ねに行ったこともあった。40年も前だ。今はバス(106急行バス)で仕事に往復している。めっきり本数が少なくなった山田線はレールが細々と、国道106号に並行して走っている。ここでも線路に代わって、国道の自動車輸送が主役である。

 時代の交通動脈はバイパスを要求する。その動脈は小さい町や村にまで行き渡る。往時を知る運転者は、時にちらりと見える市街や周囲の山や川を見て、古い面影を思い出しながらバイパスを走る。人との絆、自然との絆も時とともに変わるが、外面は変わっても内面は変わらぬ絆がいつまでも心に残る。(岩手大学名誉教授・元放送大学客員教授)


 

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