盛岡タイムス Web News 2012年 5月 14日 (月)

       

■  〈続幕末維新随想〉9 和井内和夫 東北諸藩の敗因は

 ■敗因は装備だけだったのか

  その二 知行軍役制軍の問題点

  当時の東北諸藩の基本的な軍編成は知行軍役制である。知行軍役制軍の基本的な編成では、年齢・体力・得意とする武技などは問わないわけで、しかも直臣と陪臣とが混ざる場合もある。例えば40人の小隊を編成するとして、その中20人は五十石以下の藩士、10人は百石の藩士そしてあとの10人はその従者という編成もあり得るのである。この編成の隊が実際に戦闘に参加した場合であるが、従者たちは自分の主人以外の人間の命令には素直に従うとは思えないし、また戦場心理として自分の主人に寄り添うような形になるわけで、隊全体として一人の指揮官の下で統一された行動はまず無理であろう。

  また所持する武器も身分によって自前の場合と藩支給の場合があったわけで、必ずしも隊ごとに銃の性能や弾薬の規格が統一されていたわけではない。

  訓練の問題であるが、盛岡藩の鳥蛇隊などは別として、その他の隊の隊員は、前進、散開とか指揮官の号令一つで集団行動する洋式訓練を受けていたわけではないので、戦闘の実態が銃撃戦・集団戦となったこの当時では、集団としての戦闘力という点では相当劣っていたことは確かである。その他に機能別部隊編成の問題もあった。銃隊を配置していた前線に、敵が夜襲をかけてきたため白兵戦になり、急きょ白兵戦専門の剣槍隊を呼び寄せて応戦したという実例がある。敵はこちらの都合に合わせて戦を仕掛けてくるわけではないので、銃撃戦専門部隊とか剣槍術専門部隊とかでは戦にならないこともあるわけである。

  指揮官の問題であるが、当時の身分制度下の藩士たちの意識では、自分より禄高の低い者の命令には“絶対に”従わないので、各隊長は家格や身分の高い者を任命しなければならないが、それらの高禄(高家格)の者たちが、指揮官として必要な状況判断力や指揮能力を持っていることが保証されているわけではない。

  この当時になると、そういった知行軍役制の問題点については各藩とも気づいていたようであるが、新編成への切り替えには手をつけたばかりで、各藩それぞれ応急的な対応で戊辰戦争に臨んだようである。

  それらの事情もあって、実戦で一番力を発揮したのは、各藩とも常雇いあるいは臨時雇いの足軽(同心)で編成し、洋式=集団行動訓練を受けていた銃隊だったようである。
 

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