盛岡タイムス Web News 2012年 5月 17日 (木)

       

■  〈春又春の日記〉56 古水一雄 作戯録(通巻46冊)

 この日記は、明治42年10月23日から12月6日までが記されている。大方は胸痛や腰痛の治療のためにかかりつけの個人病院に行ってマッサージを受けたり電気治療を受けたりしていることが書かれている。その間に山陰の別荘の改築にもとりかかり、ほぼ毎日のように工事の進行を確認しながら大工や庭師に指示を与えてきている。

     
  作戯録(通巻46冊)  
 
作戯録(通巻46冊)
 

  (十一月三十日)
    帳上ゲ、且ツ三十ノ忙ニ處ス、
    午后雨雪、平井ノ姉ヨリ使アリ、
    書き出しノペンヲ措キテ行ク、姉曰フ
    澤内破談、
    文明堂ノ女如何、仁王教員上野某如
    何、亀庄ノ女如何、花巻ニ某アリ如
    何、如何
    云々、余曰ク、二十五ハ厄ノ年ナリ、
    乞フ之ヲ来春ニ延サント、饅頭七八
    茶七八
    去、澤内破談、咄、惜ムベシ余ガ歌
    廃棄ニ帰スルモノ五六呵々

  帳場で月末の帳面の整理をしていると、平井家に嫁いでいる伯母・伊志の使者がやってきて、すぐに来るようにとのことであった。伯母の口をついて出たのは「澤内破談」のひと言である。

 この縁談は叔父・寅三郎によってもたらされたものであった。そのときは気乗りがせず何とか断ろうとしたが引き下がらない寅三郎に3年後であればといって承諾したものであった。相手も3年など待つことはないだろうととっさに口走ったのである。そうは言っても全く気にならないのではなく、友人を通して澤内の土地柄を尋ねたり仙台にでかけて相手の家族と会ったりしていたのであるが、半年もたたずに破談の話が舞い込むとは春又春も思いもしなかったであろう。

 惜しいのは自作の短歌の5・6首を廃棄しなければならないことだと強がってはみるが、帰家して帳場に座って澤内破談を反芻(はんすう)すると“楷書の人”との破談のときと同じ心持ちになっていることに気づかされたのであるか。

 伯母からは“文明堂ノ女”“仁王教員上野某”“亀庄ノ女”“花巻ノ某女”など次々に花嫁候補を勧められるが、25歳は厄年だからその話は来春に願いたいと断りをいれたのである。

 帰宅して帳場に座っていてもどうにも落ち着かず、腰をあげて母に伯母の所での話を打ち明けた。母からも近所の若い娘はどうだろうとそれとなく勧められるが、実は其の娘さんのことは自分も気に入っていたのだったが、これまで母にも言わずにきたのであった。

 布団には入ってもなかなか寝付かれない。おまけに暴風で戸障子がカタガタと鳴り響いている。暁方風がやんでやっと眠りに就いたのであった。

 その後の詳細な成り行きは、次の日記「昨戯録(通巻第四十七冊)」に記されているので次回に回すことにする。

【訂正】 前回記事中「正則英語学校」の校長名
  誤 斉藤 重三郎(さいとう しげさぶろう)
  正 斎藤 秀三郎(さいとう ひでさぶろう)


 

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