盛岡タイムス Web News 2012年 5月 18日 (金)

       

■  〈野村胡堂の青春育んだ書簡群〉77 八重嶋勲
      生涯中今年程変化ありしは無

■106大学ノート 明治三十五年十一月廿四日付
宛 東京本郷區本郷六丁目二十八 月村方野村長一兄
発 仙台市光禪寺畔  猪狩見龍木枯吹き
木の葉みなちり盡し申し候、仙台は仙台丈け盛岡よりはよほど時候も進み居る様なれとも仲々寒く御座候、光禅寺の地蔵様も余程寒そうに見うけられ候、地蔵様の屋根となれる木々の葉もみな散りつくしたれば風も容赦なく鼻のあたりを吹きすぐる様に候、

こんなに寒く相成り候ふにつれ盛岡に於ける吾々の生活も思起致され、当時の恋しさ一増身にしみ申し候、兄が御結婚の一周年の記念日もすでにすぎたる由、誠になつかしく候、丁度余とキ(箕)人兄と宮川兄と貴兄が宅を訪る時眺めたる北上川畔の暮景が屡々余をして一種の悲観を起こさしめし当時の余が心こそ今考へ見るも何となくなつかしく候、今尚其景色が目に見えてかなしく相成り申し候、貴兄の結婚記念簿に当時眺めたる北上河畔暮景と当時の余の感想とを記して寒休み中に御送り申すべく候、

吾日が去年一昨年至及数年前の吾との生活を思ふこと殆んと毎晩に候、私しは其当時を思ふの情一増切なる時はいつも金田一花明兄を訪ふて心ひそかに慰め居り候、当時を忍ぶには只当地に花明兄あるのみに候、花明兄近頃轉居せられてより、

私しの宅と近くなり(半町もなし)甚だうれしく候、小笠原兄も至って親切な人物に候(余の思ひしよりも)、私しの一学期試(験)も近く相成候、是と共に吾々が一年の生活も既に終りとなるべく候、実に月日は早きものに候、吾々が今年の生活をかへり見る時至って耻かしき感想のみ起り申し候、『吾々は今年中に何をなせしや』私しは答ふること能はず候、風寒く星輝く宵毎に年暮の感と是れと共に起る吾が生活と行動とが一増深く感ぜられ申し候、余の二十年の生涯中今年程変化ありしは無之候、今春盛岡にての生活、夏季の小学校教員の生活、今秋冬仙台の生活等は余の外部の行動として更に余が心霊上の行動にも多少変化ありしことゝ考へをれ申し候余は今年夏季休業を帰宅すべきか仙台に在るべきか大に考へ中に御座候、

至る所不景気の声ならざるはなく家に帰り候ふても父と母と弟との貧苦の涙を見るもあまり気の毒にてさればとて仙台に居るもつまらなく感ぜられ候、余か友は家を眺みて帰る事を急ぎ居り候へども、余丈けは家には足のむきが鈍く候、然し余は苦しめる父と母と弟とを慰むるべく一寸は帰宅すべくと考へ居り候、余は貧に處して平気なれとも父と母と弟とは実に可愛く御座候、

吾々の試験へは三週間を余すのみに候、山の如き筆記は気にかヽり申し候、これよりはm o r e t h a n の繁忙を致すべく候へば、此の紙面は余より君への最終の手紙たるべく候、然し余は書きたくなりし時は何時にても書くべく今丈けは先づ斯くと御約束申すべく候、

近頃は二、三夜殆んと眠らず、至って疲れ居り候、私しの宿の猪狩亥三郎なる人は肺のため咳血甚だしく微力乍ら看護に一ぴの丸をそへ居り候、此人は今年高等師範を卒業して直に身体を悪くし今まで南湖病院(茅ケ崎)にありて、去る九月帰宅してありしも今年に至りて再発したるに候、余に對して親切に、余は兄の如し存し、氏は余を弟の如くなされたりし故一増余にとりて恋しく御座候、正岡子規先生や余の敬愛する亥三郎先生等の肺痛にかヽるを見るつけ肺病も一増なつかしき感の起り申し候、

三柊君へは手紙も仕らずキ(箕)人君に屡々幸便を以て送れとも何の音信もなし、宮川君の住所も余は知らず、殆んとせきばくの感じあり、只露子兄と兄との音信によりて多少元気を回復致し居候、この暮年の季に当りて来るべき生涯の眞の生命と過去の吾等が歴史を一層御考へ被下度候、憐れむべき川口きよ姉によりて作られたる手袋、今年も手冷へて堪え難きまヽ用ひ居り候、愚なる余を御憫哭なし被下度候、願はくは神と共に健在ならんことを訴り申し候、

今宵少し早けれども眠に入らんとする前后後七時、遠き琴の音をきヽつヽ認む親愛なる菫舟兄江 書を送る
                    湖畔迂生

【解説】盛岡中学校在学中はアルバイトなどして苦学したので、成績最下位で卒業したという。しかし、仙台医学専門学校受験で、多くの秀才が落ちる中、見事一度で合格したという。明治四十年、卒業し医師として東京聖路加病院小児科に勤務。その後東京と郷里で開業。最後は沼宮内で開業したという。盛岡中学時代、五山と号し、菫舟、露子、炎天、箕山と秋田俳句行脚したり、校友会雑誌などに作品を寄せた。熱烈な基督教信者。

 この手紙は、仙台医学専門学校一学年の冬、試験を前にしての様子を書いている。金田一京助(花明)は仙台第二高等学校在学中で、しょっちゅう会っているということである。


 

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