盛岡タイムス Web News 2012年 5月 22日 (火)

       

■  〈岩手からのカナダ移住物語〉4 菊池孝育 北米での先駆者

 水沢出身の斎藤實は明治17年9月に渡米した。駐米公使館の駐在武官(海軍中尉)であった。外交旅券所持者の岩手県人ということになる。

 斎藤からほぼ1年遅れて、明治18年に盛岡の赤坂安太郎が渡米した。正当な旅券を所持する最初の岩手からの民間人と言えるかもしれない。記録では「岩手県平民、目的商業実視、旅券番号二一一五一」となっている。米国にどのくらい滞在したものか不明である。カナダまで足を延ばしたかも不明である。

 そのころハワイの日本人移民のうち、米本土に新天地を求めて渡航した人々も多数いた。いわゆるハワイ転航者である。ほとんどは不法入国者とされた。ロスアンゼルスやサンフランシスコでの入国を拒否され、バンクーバーやビクトリアに上陸した人たちも多い。

 やがて南下して国境を越え、米入国を果たすのである。そういう人たちの中にも岩手県人が皆無であったとは断言できない。実際、旅券を取得して合法的に渡航する人たちよりも、不法入国者や密航者の数が多かったのも事実であった。

 水沢の下飯坂武太郎は、明治20年に密航してサンフランシスコに渡った。大変苦労しながら外国生活を送った後、明治35年9月、ロンドンで客死した。彼の略歴は水沢大安寺境内の彼の墓碑裏面に刻まれている。

 密航の手口は大体同じである。武太郎の場合、横浜で太平洋横断の外国船にもぐり込み、出航後2〜3日して姿を現した。もう日本からだいぶ離れている。外国船も一人の密航者を送り返すために引き返したりはしない。船長は彼を雑役夫として使い、食事を与える。

密航者だからといって、海に放り込んだりはしないのである。武太郎はサンフランシスコ港に到着するやいなや、夜陰に紛れて上陸して逃走した。

 その後、明治25年頃いったん帰国するまで、北米大陸を転々とする。その間、彼は斎藤實の庇護を受けたとされるが、確証はない。

武太郎は西海岸の各所で生活していたのに対して、斎藤實は東海岸に駐在していた。たまに西海岸に出張することがあっても、密航者の武太郎の面倒を見ることができたか怪しい。それに斎藤は明治21年の10月には帰国している。

 武太郎の弟武次郎は武太郎の後を追って明治22年に渡航した。正式に旅券を取得している。旅券番号は16465となっている。武次郎は明治30年代の後半、バンクーバーに居を定めていることから、二人はその当時もバンクーバー近郊に居たものと推測される。

 武次郎は明治30年頃帰国すると、早速、「私立水澤英語學會」を起ち上げて英語教育を施しながら、青少年の海外雄飛の必要性を説いたのである。この後水沢、江刺、胆沢地域から、海を渡る若者が続いて出るようになる。当時の胆沢郡は岩手における海外雄飛の先進地域であった。その意味で、下飯坂武太郎、武次郎兄弟の果たした先駆的役割は大きい。2人については拙著「岩手の先人とカナダ」に詳しい。

 


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