盛岡タイムス Web News 2012年 5月 25日 (金)

       

■ 〈野村胡堂の青春育んだ書簡群〉学友たちの手紙78 八重嶋勲 

■107原稿用紙 明治三十五?年十二月十二日付

宛 東京市本郷区本郷六丁目二十八 月村方 野村長一兄
発 盛岡市市外三ツ割四一 猪川浩 拝

久闊、こゝに君を連音ぬ事殆んと三旬幸ひに兄が健康なると見えは、予が満足これに過ぐるなし、予は轉宅以来雑誌や何にて寸分の暇も得ず、亦こゝに試験なるものに追逐せられて学課の人なとり昨今鹿爪らしくブックを取りて阿呆羅を読むまねし居るなり、

こゝに筆をあらためて君に言はんとするハ世の間の事也、何んぼどんな立派な事を言ふても追つかぬハ運命なるぞかし、去んぬる霜月のはじめ三柊兄が突如銀行を退職せられぬ、何の故か人づてだに聞き得ず、猶ほ且つ自身にて言ふ丈けの勇気もあらず、只言ふ予は自ら言ひ能ハず、願くは他人よりして聞き玉へ可しとのみ、されバしひでも訪問ねバ時に悵然として悲しむのみ、何れ或る人の為めに退職のやむなきに致(到)れりとハこれ実にして又容易に推察すべきにあらざるなり、そが為めに家計の困難ハ言ふに及ばず、三柊兄が苦痛悶煩遂に一切のライブラィーを開いて賣る事もなし。予はその背負ふて友人間を持ち廻ることゝ成せり、君よこの悲しき三柊兄に取りて如何許り成りけむ、推してよ予は三柊兄は何ん為めか兄哥の如く思はれ、殆んどこれが為め十数日を奔走しぬ、未だ賣り切る能ハずと雖も大方は豫約と成れり、これ悲惨中の悲惨なる可なり、兄よ推してよ、

これが為めに同情を寄せて三柊兄を慰問し玉らば兄が悦び蓋しこれにまさるものなかるべし、予も抱琴兄へ頼み大坂へ取り合せ中なれど未だ何をも定りならず、何れ又確かなる事も後日あるべしと心ひそかに待ちつゝあるなり、それよりも今度ハ予が身の上の事に及ばん、予は元より帰せず、今日の今日まで遊びに遊びくらし一つも五年を完全に修業せる事なく皆んな養ひ掛けなり、さればこゝを卒へて高等の学校へ行くなど仲々出来ぬ事なり、あはれにもおこがましき限りなれど今度高等師範の試験など享けて見んかと思ひ居るなり、されバ昨今一層の繁忙を極め居るなり、君よ成す事の無理なる理由はまづこうなり、五日許り先き村上四郎君予に受けて見ずやと折角進めてくれたれバ、そんならやって見んかなど思出して学校へ交渉し愈々と決定でせり、されど試験までは三十四、五日を餘すのみにして課目は十九課目なり、何ぞやあきるゝの外なきなり、されどこうゆう試験に馴れるつもりにてやる可きかくごなれバ皆へ公言するわけにハ行かず、□故々々と勉強するなり、勉強し丈ハ予の往なればなり。

顧って自分を思ふに予は英語の力は零なり、数学の頭にあらず、暗記的頭にあらず、さらば君よ予は如何にして何處の何に及第し得べきや、予はなさけなく生れたる動物なり、後日必ず兄等に追ふ所あるべし、宜しく予を倦まず指導の労を給はれかし。噫々、

石川白蘋兄上京して葉書二枚の音信あるのみ、他に何等の音信なし、これが最初必ず音信すべし、あるべしと誓ひたる友なり、世間がこれで通れるから愉快でたまらず、されど予は多クこの人を責むる權利あらざるへし、今新詩社に入りて明星に採筆せらるゝとなり、然も今何トカ云ふ詩とか文章とかを飜譯し居る由、目出度し目出度し、天下の明星はユニオンの四リーダー二、三頁を読み噛ぢた大英文学者に依りて筆を採らるゝなり、又栄となすべきなり。

これもやがて口の為めなら仕方がなし、一食の為めに節操を賣り身を賣るさへあり、石川兄の方余程勝って居るべし、どうもんだろう。

露子君が此頃ふしぎに変化して居る、先頃俳句の事話してやると大変怒って予は俳句の事昔なり、今知らす、関せずなり。これだから人間程愚なものはない、俳句造るものは大文学者ならす、俳人の中に大文学者出ずとの事なり、御もっともの事で誰れも俳句は大文学を生とでも言った事はあるまい、予が何時までも俳句に固執して居るのは吾が友を一々社會の人を趣味の人にしたい、つまり悪をさけて美に近づくと云ふ、それが動機に成りてくれるなら有難いとの事にて文学云々といふ事に一向関せぬつもりなり、君よ俳句は道楽にハ差違なけれど又眞面目の俳句なり、君は如何に思召し玉ふや、この由露子君へ傳へてくれ玉へ、尤も試験でも過ぎたならお手紙もあげるか、當文は上げれまいよくいってくれ玉へ、先頃の御手紙に呈猪川兄書とか、自れが驚喫したり、君が言ふ事ハ何なるか、未だ明瞭としないが、宗教の事なるや、君よゆるし玉へ、宗教丈けハ感情なれバ理屈にて理性にて支配すべきにあらず、感情なれバ善いと思った方がどうしても善いようなれバゆるしてくれ玉へ、僕にハ聖書を眞面目に成りて読む余祐(裕)と勇気はない、堪忍してくれ玉へ、されど文中「自己の最も尊き事を認める」の間は一生を通じて遵す奉すべし、誠に余に取りてハ金言なり、この事はこの冬一同に成りて話すべし、如何にたのしき事よ、

二十四日頃来玉ふとか、二十四日の蕪村忌に来て加勢してくれませんか、至急返事を待つものなり、移轉してから面白くなき事のみ勝ちにて怏々としてある事米の高いので家がぐらづき出すと僕も面白からず、勉強も何も止めんかなど思ふ事暫々なり、金銭がこんなに人を苦るしめるものでしょうか、阿部兄といへ、猪狩兄といへ、僕までも杏子君の如きに於てハ呪ンやなり、吁々、昨日も学校御尊父まゐられ、あの品物と言はれて冷汗をかいた、杏子君へ一度二度言っても外套は持って来くれず、大によわって居る、推してくれ玉へ、 何れ兄が来盛を待つ、大に宴を張って遊ぶべし、擱筆

   十二月十二日午後六時    菫舟兄
             浩拝      机下
     三郎どうしたか様子知らしてくれ玉へ、

  【解説】この手紙は、「盛岡中学校交友會原稿用紙」に書かれており、猪川箕人が大きく関わっている事がうかがわれる。自分が岩手高等師範学校を受験しようと決心したが、十九科目で、英語がゼロ、数学は頭に入らないと嘆いている。また、石川白蘋が上京してたったはがき二枚よこしただけであり薄情であると非難しながら、「今新詩社に入りて明星に採筆せらるゝとなり、然も今何トカ云ふ詩とか文章とかを飜譯し居る由、目出度し目出度し」ともいっている。

「天下の明星はユニオンの四リーダー二、三頁を読み噛ぢた大英文学者に依りて筆を採らるゝなり、又栄となすべきなり」も大いに参考になる。

 


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