盛岡タイムス Web News 2012年 6月 1日 (金)

       

■  〈学友たちの手紙〉79 八重嶋勲 語りあって我が安心の道を

 ■108巻紙 明治三十五年十二月十六日付

宛 本郷六丁目二十八 月村方 野村長一兄

発 東京 青山学院寄宿舎 岩動孝久 (露子)

(封筒裏に)シバクンニアッタナラヨロシクイッテクダサイ

父よりの手紙見たところ至急かへらねばならぬことになり『明日ともいはず流』に明日上野発九時二十分の汽車に乗るべく、渋谷を八時〇七分にたつことにした、君には大きにすまぬ僕も淋しい、

國へかへりたなら君へも行かうし僕へも来玉へ、話したい事も多くある、
色々と語りあって我が安心の道をえたいと思ふ、
君も一ツ山形新聞へかヽぬか、僕も誤(語)やくでもするつもりだ、僕は友人といふことを非常に考へ出した、
今日寄宿を出るとき崎山といふ牛乳を売ってゐる友がまじめになって別れの見送りを月下に実業部の前までしてくれたのにはほとんと泣かせられた、
他この学院であつた友人のあるものが非常にあつい同情を表して体の事、心のことを教へ導きくれるのはうれしい至極である、今晩は江原君のところへとまる、十六日夜したヽむ
           岩動
野村兄

  【解説】岩動孝久は、紫波郡赤石の人。俳号露子。、菫舟、露子、炎天、箕山と秋田俳句行脚を行ったり、正岡子規の俳句革新運動に傾倒し、原抱琴らと俳句結社「杜陵吟社」を結成。盛岡中学校に文学の風を吹き込んだ。明治􏇴年に東京外国語学校に進み、􏇷年に卒業陸軍幼年学校教官を勤めたが、病気となり帰郷、闘病生活。長一とは、紫波高等小学校、盛岡中学校と同窓で親友。

  発信先が「青山学院寄宿舎」とあるので、ここでも学んだのかも知れない。このはがきは、冬季休暇で帰省するところであろうが、父から早く帰ってくるよう手紙がきたのですぐ帰るというもの。

  ■109 明治三十五年十二月二十二日付

宛 紫波郡彦部村字大巻 野村長一

発 (盛岡市) 杜陵吟社 封筒のみで中身なし。

  【解説】この時点でも、杜陵吟社に深く関わっていたのであろう。中身がないのは残念である。  


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