盛岡タイムス Web News 2012年 6月 4日 (月)

       

■ 〈続幕末維新随想〉12 和井内和夫 盛岡藩から岩手県へ

■人材の輩出

  戊辰政変や明治維新を語る場合、関連して明治以後の人材輩出の話になることが多い。ある時の講演の際「岩手から総理大臣や陸海軍大将が多く出たのはなぜか」と質問が出たことがあった。「分からない」と答えても許されず無理やり答えさせられたことがあった。(もちろん牽強付会の迷答になった) 明治以後、総理大臣が一番多く出ているのは山口県で、それに次ぐのは岩手県と群馬県である(選出された選挙区を出身地とみなしてプラスすれば東京が二番目になる)。

  ちなみに、長州藩は豊臣対徳川のいわゆる天下分け目の戦いである関が原の合戦の際、名目的ではあるが当時の藩主が豊臣方の大将に担がれていたため、その敗戦によって112万石から􏇴万石に大減封され、以後明治までの260年余りの間、藩の上下・各層は隠忍・辛抱を強いられていたのは事実である。

  山口県の場合はイコール長州藩であるが、岩手県の場合は面積で約4分の1を占める水沢以南は旧仙台藩領であり(同じく九戸地方など約八分の一は旧八戸藩領)、岩手県出身の4人の総理大臣の中の1人は旧仙台藩領の出身である。

  明治以後平成の今日まで、岩手県からは、総理大臣や軍人もそうであるが、それ以外の政・学・芸の各界でも、東北の各県と比較して多くの人材を輩出しているのは事実であるが、その理由はわたしには分からない。

  ただし、岩手人の根性の形成には、辺境視された大和政権の時代、苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)の徳川時代、そして戊辰敗戦後の薩長藩閥政府による差別の時代と、長く続いた抑圧とそれに対する隠忍・刻苦が関わっていることは確かだと考えている。

  明治以後自分の県から偉い人(国家の最高権力者である総理大臣をはじめ、旧陸海軍将官を含め各界の著名人)が出ているかどうかについては、どこの県でも関心が強いようである。

  最近、秋田県でのことであるが、ある歴史研究グループの集まりで同じような質問が出ていた。秋田久保田藩は戊辰戦争において薩長側に味方したため、藩の上下を問わず人と物の両面で多くの犠牲を払わせられたにもかかわらず、その薩長が政権を握った明治以後、新政府によって官吏に登用されたり、政・軍などの各界で活躍した人がほとんどないのはなぜかという質問であった。

  それに対する主催者の答えは、明治維新後の秋田県内において、旧尊王派と旧佐幕派との対立がありその影響(そこを薩長関係者に乗ぜられた)と、秋田県人の薩長藩閥政府に対する期待が裏切られたことへの反発のためではないかということであった。

  この問題はわれわれ東北人にとってこれからも続く課題であろう。
(おわり)

 

 


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