盛岡タイムス Web News 2012年 6月 4日 (月)

       

■ 〈幸遊記〉74 小川延海の未来少女

 「陶道に入って32年になる」という手紙をともに、一編の詩「陶板との出会い」そしてその当時のろくろ≠回す手の写真が添えられた手紙が、大槌町御社地天神前のギャラリー花舘≠ゥら届いたのは、2006年4月29日のことだった。

  その花舘≠フ主人・小川延海(のぶみ)さんは、かつて全国的ブームを巻き起こした、あの独立国「吉里吉里」の仕掛け人で、工芸大臣だった。「イッタカキタカ号」などという一つの胴の両方に頭がついた狛犬(こまいぬ)や、河童や魚の置物などユニークな作品を作った。僕が盛岡に来てから訪ねて行ったとき、僕にくれた「石のような焼物オブジェ」は、今も僕の店のカウンター上にある。
彼は1970〜80年代に「花屋敷」という朝9時から夜9時までのジャズ喫茶を大槌町で開いていた。山水のアンプ、マイクロのプレイヤー。ブラウンのスピーカーで鳴らすジャズは、シャレタ店内に、まるで絵のような美しさで流れていた。

  出会ってから、2011年3月11日の大津波の時に67歳でいなくなるまで、名の如く延々と、手紙や詩編や個展の案内状が届いていた。陶を創作し、絵を描き、詩を作り、喫茶店ギャラリーを経営し、写真も撮った。彼の仕事で僕が一番好きだったのは、写真や、写真と絵のコラージュ。とりわけ若き日のジャズピアニスト・故本田竹広や、今は無き同町の小さな老舗ジャズ喫茶「ケルン」のオヤジさんを撮った写真などが素晴らしく、昔一度、僕の店でも写真展をやってもらったことがある。

  その小川延海さんが、2010年の秋頃から頻繁に交流を重ねた、名古屋市在住の、詩集編集者・水内喜久雄さん(60)に送った最後の詩「未来少女」が、今年(2012)2月28日のある新聞に載っていた。「あの日に去った少女は青き海のかなた、深き海に見えるあの記憶は貝に…」。「ポエムフェスティバルin名古屋」に展示されたその詩を、盛岡で歯科医を営む延海さんの兄・邦明さん(71)のもとへ、水内さんがわざわざ届けに来て、帰りには僕の店(開運橋のジョニー)に立ち寄り、そのコピーを見せてくれた。そのことに感動し、僕も今手元に残る、この10余年間に延海さんから届いた手紙類を数えたら、50通を超えていた。
(開運橋のジョニー店主)

 

 


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